「1990年代後半、継投全盛時代に突入し、岩瀬が評価された。その後、ホールドという基準が統一された年に藤川というスターが誕生した。これで、2000年代後半以降は中継ぎでも年俸がやたらと低く抑えられることは少なくなりました。
育成出身の山口鉄也(巨人)は3億円を突破しましたし、2011年には浅尾拓也がMVPに輝き、オフの契約更改で2億6000万円になった。入団以来13年連続で50試合以上登板を続ける宮西尚生(日本ハム)の今季年俸は2億5000万円。相対的に見ればもう少しもらってもいいのかもしれませんが、それまでの中継ぎでは考えられない額です。1990年代くらいまでは中継ぎだと年俸が上がらないので、先発転向を志願する投手が沢山いました。しかし、2000年代以降はその不平もかなり減ったのではないでしょうきあ」
評価基準を明確にし、公式記録として数字で現すこと。その分野でスターが誕生すること。この2つが揃ったことで、中継ぎの地位が向上したのだろう。