認知症になった人に尊厳を持って向き合うというのが、長谷川氏が長年提唱してきた「パーソンセンタードケア」の理念だ。それには、「その人のことをよく理解しなければならない」と、長谷川氏は過去にインタビューで答えている。
「あとから聞いたのですが、父は初めてデイサービスに行くときに自分の著書を持って行ったそうです。きっと、自己紹介をしたかったのかなと思います」
長谷川氏に付き添う中で、まりさんの考え方にも変化が生じたという。話が横道にそれたり、同じ話を繰り返すことが増えたため、当初は人前での講演などをやめさせたほうが長谷川氏の尊厳や功績を守れると考えていたが、「失敗をしても今だからこそ語れることがある」と前向きに活動する長谷川氏を見て、その意思を尊重することにしたのだという。
「患者として学びたい」
認知症を公表したあとも、長谷川氏は長年行きつけにしていた喫茶店に通い続け、読書や講演などの日常も、極力変えないようにしていた。
外出中に転んで額を切るケガをして帰ってくるなど、家族が心配を募らせるようなことは度々あったという。そこで助けになったのが、地域や周囲の人たちによるサポートだった。
「私がそばにいないときも、どなたかが助けてくださったようで、社会全体でのサポートが大事だと実感しています」
東京・板橋は、長谷川氏が55年間住み続けた場所だ。地域住民が拠り所になったり、良いデイサービスを紹介してもらうなど「父の認知症を通して近所付き合いが深まった」と、まりさんは振り返る。
現在、長谷川氏は妻・瑞子さんとともに有料老人ホームに入居している。入居を決めたのは、新型コロナ禍を受けてのことだった。
「昨年8月に父は胃腸炎で脱水症状になってしまい、1か月間入院しました。その間に新型コロナで母と会えない期間があり、改めて母との絆を感じたのだと思います。酸素療法が必要になり、自宅での生活が難しくなったこともあって母も一緒に生活できるホームへの入居を決めました。母は“(父が)死んだら私は自宅に戻る”と言っていますが(笑い)」