●宮城・南三陸町(2011年3月12日→2021年2月25日)
町の大部分が流されるなか、高台にあった志津川高校は多くの住民の避難所となった。当時の校庭には「SOS」の文字が。現在は校舎の裏手の山が住宅地として切り開かれ、津波被害に遭ったエリアの一部は「震災復興祈念公園」となっている。震災後の人口減少で志津川高校の生徒数は以前の半分ほどになった。
●宮城・気仙沼市(2012年1月24日→2021年2月12日)
60年続く「理容 鹿折軒」を営む小野寺さん親子。被災後、5か月ほどでプレハブでの営業を再開。その後、かさ上げされた土地など2度の移転を経て、昨年、元の土地で再び営業を開始した。「ここまで早く家や店の建ち並ぶ光景になるとは思いませんでした」と復興の速さに感嘆する。