「離乳食は好き嫌いなく食べてくれます」(和さん)(写真/本人提供)
2020年7月、娘を出産。幸い、母子ともに無事だった。ただし、娘は超低出生体重児で肺が未熟。呼吸が安定せず、すぐに人工呼吸器をつけてNICU(新生児集中治療室)に運ばれた。
「産声は聞けないといわれていたけれど、弱々しいながらも泣き声をあげてくれたんです。うれしかった。あの声は一生忘れないです」
一方の和さんは、卵巣にできた腫瘍が出産後に爆発的に大きくなった。
「胎児がいなくなってスペースが空いたからか、産後1~2日のうちに腫瘍が急激に大きくなり、胸水もたまって呼吸が苦しくなりました。歩くことができず、移動は車いす。初めて『これは死ぬかもしれない』と思いました」
2020年9月29日、和さんは卵巣摘出の手術を受けた。摘出された腫瘍を見た将一さんは、言葉を失ったという。
「1つはドッジボールほどの大きさで、重さ2・5kgもあった。娘が980gで生まれたので、約3人分でした。こんな恐ろしい腫瘍を妻はお腹に抱えていたと思うと……」(将一さん)
幸い、術後の経過は安定し、2020年10月10日にようやく母子揃っての退院を果たした。
私と同じステージの人がどんどん亡くなっていく
がん闘病中の育児。苦労がないわけがない。思い通りにいかないこともある。
「本当は母乳で育ててあげたかったのですが、もう私の体にはエネルギーが残っていなかったようで、全然出てこなかった。娘には『ごめんね』という気持ちでいっぱいでした」(和さん・以下同)
それでも、和さんは家事全般をこなせるようになった将一さんの協力のもと、抗がん剤治療と育児を両立させた。指を吸うのがうまくなる、声を出して笑うようになる—娘の成長に日々驚きながら、母になった喜びを感じる日々。その一方で、やはり病気のことが頭をよぎる。
〈2021年1月14日(木)
昨日の夜、私の1番仲良かったガン友が亡くなったって連絡もらった。7月に娘を産んだ後、本当に苦しくて死にかけてた時、すごく助けてもらった子。自分もしんどいのに、私の事励ましてくれて、大丈夫、負けないで、一緒に頑張ろうって。そのおかげで今生きていられてると思う。本当にそれくらい私の心の支えだった。
去年の11月、病院で死ぬのは嫌だからって地元に戻ってきたって聞いて、会いに行こうと思ってた。でもそこから1回も連絡が返って来なくて……。年は越せないって言われてたみたいだから、そろそろなのかなとは思ってたけど。本当に悔しいし本当に悲しい。そして怖い。
私と同じ病気。私と同じステージの人がどんどん亡くなっていく。いつかは私もって思うと本当に怖い。大好きな人が、一緒に戦ってくれる仲間がどんどんいなくなる。(中略)
パパ(将一さん)は、この話聞いて、早く東京行こうって言ってた。今の標準治療しか受けられない病院だと標準治療が効かなくなったらどうしようって気持ちみたい。分かるけど……。でもコロナが猛威ふるってる今、この時期に行って、もしかかったらどうするんだろう?
セカンドオピニオンすら受けられないし、医療体制ひっぱくしてる時に行っても、夜間とか休日お腹痛くなったりしても、きっと救急行くのもためらうと思うんだよね。まだ標準治療が効いてるなら、今すぐじゃなくてもいいんじゃないかな。〉