ナポレオン3世から贈られたとされる軍服を着た慶喜(茨城県立歴史館所蔵/時事通信フォト)
慶喜が江戸城に戻ると、フランスの援助で軍隊の近代化を手掛けた小栗忠順をはじめとする旧幕臣が次々と慶喜に主戦論を唱えた。フランス公使レオン・ロッシュも何度も登城して慶喜に再挙を促した。旧幕側は最新鋭の多数の艦船や万単位の銃を保有し、歩兵部隊も近代化し、十分に戦える戦力を有していた。
だが、慶喜はついに首を縦に振らなかった。「自分こそ本物の尊皇主義者だ」という信念があったから「君側の奸を討つ」という理屈を掲げても良かったはずだが、尊皇第一主義ゆえに慶喜にはそれができなかった。
仮に慶喜が江戸で挙兵していれば歴史は変わっていたに違いない。実際の戊辰戦争以上の激しい内乱になった可能性があり、新政府軍は箱根を越えて進攻できず、箱根を挟んで旧幕軍と新政府軍が睨み合う状況になったかもしれない。東西分裂である。内乱ないし膠着状態が長引けば、南北戦争を終えて外に向かう余裕の生まれていたアメリカの介入を招き、状況はさらに複雑になっていただろう。
そうした事態にならず、戊辰戦争は短期で終結し、日本は近代化の道を走り始めることができた。そう考えると、近代日本の運命を決めた「明治維新の最大の功労者」は慶喜なのである。
【プロフィール】
鹿島茂(かしま・しげる)/1949年神奈川県生まれ。フランス文学者。慶喜論を収録した『本当は偉大だった 嫌われ者リーダー論』(集英社)、『渋沢栄一』(文春文庫)他著書多数。編著に『文春ムック 渋沢栄一』、監修に『別冊太陽 渋沢栄一』。サントリー学芸賞、読売文学賞など受賞多数。
※週刊ポスト2021年6月18・25日号