貯金はいくらかあるし独身だからなんとかなるとは思ったが、再就職は当面できないとも悟った。料理の専門学校を卒業してはいるものの、職歴はバイト情報誌の広告営業と飲食店の正社員、そしてOA機器の営業のみ。情報誌業界はすでに壊滅、飲食店はコロナ禍でアルバイトすら雇う状況にない。全く潰しが効かなくなった福永さんが訪れたのは、最寄りのハローワークだった。失業保険の手続きで訪れたついでに、どんな仕事があるのか、覗いてみたくなったのだ。
「求人票を閲覧する端末を食い入るように見ている人もいれば、疲れて椅子で寝ている人もいる。殺気だっている人もいて職員に食ってかかるような場面も。私の番が来て窓口に行くと、担当者も妙に疲れた顔をしていましたね」
面談では、福永さんが働けるような仕事はひとつもない、とやんわり、でもはっきりと言葉を選びながら説明をされた気がした。期待していなかった分、落ち込むこともなかったが、建物を出て、近くの喫煙スペースに行くと、そこにいたのは先程の担当者。たばこを指に挟みつつ、担当者の男性にねぎらいの言葉とお礼を伝えると、実は、と明かしてきた。
「担当者さんも派遣さんだったんですね。てっきりお役所の人だと思っていました。給料も少ないし、客からはバカにされたり罵倒されたりする。しかも、コロナの世の中になってからはそれが特にひどく、やっていられないと。スタッフの数もずいぶん減らされて、自分もいつかハローワークの世話になりそうだって」
正社員だった時、派遣だけは嫌だなと思っていた福永さん。派遣社員になってからは、なぜ直接雇用されないのか、なぜ給与が低いのか、なぜボーナスが出ないことがあるのか、様々な疑問が浮かんできたが、その都度、押し殺してきた。だが、これまで考えないようにしてきた、モヤのように渦巻いていた不安や疑問が、コロナ禍の発生とともにはっきりとその姿を表したと話す。
「僕が働いていたコールセンターで言えば、追い込まれてクレームをつけざるを得ないほど切羽詰まった人に対応するのが、同じように切羽詰まっている僕。電話口の人は、僕を役人だと思って憎むでしょう。役人は国民の税金で生きているくせに、国民が困った時には上から目線だとかね。でも僕もそっち側なんです」
筆者もこれまで取材した先で、同じような状態になっている人々に遭遇した。例えばテレビ局の視聴者窓口スタッフ。ここで働く人たちのほとんどは派遣で、テレビ局の正社員と比較しても収入はおよそ4分の1ほど、年収が三百万円台というのもザラだ。しかしながら、テレビ局の顔として客対応に応じる。特に、コロナ関連のセンシティブな放送をした直後にかかってくるクレームは「テレビ局は上から目線だ」「お前らなんか自分さえ良ければ良いのだ」と、電話応対する人間も高給取りの勝ち組だという決めつけが元になっているケースが散見される。現実には、クレーム主も窓口スタッフも同じような立場のはずなのに、それを知らないばかりに対立のような構図が出来上がる。
福永さんが言うには、こうした本来起きるはずのない対立の溝は、「派遣」という属性の人たちが過ごす場所に突如現れ、その溝を挟むように派遣労働者が二手に分けられ、互いを罵り合う不毛な争いが繰り広げられているという。そして、その対立を煽っている層のことを「支配者」と表現したのが、冒頭のオカルト風に聞こえた発言だ。
「クレーム処理だけじゃない。コロナで不景気になって、真っ先に切られたのも派遣やパートです。経団連とか政府のせいで、というと陰謀論じゃないのか、とか努力が足りないと言われますけど、実際そうじゃないですか。これだけ困っている人がいるのに、全く生活基盤が揺るがない人もたくさんいて、そういう人が社会を良くしようとか、みんな仲良くしようとか言うだけで、結局助けてはくれない。我々みたいに、しわ寄せされやすく不満を持ちやすい層は、その中での対立や分断を煽ってガス抜きをさせておけば良い、と感じているのでしょうか。その手伝いをマスコミや政治家がやっている…言い過ぎでしょうか? ネットやSNSを見ていても、同じような対立が起きている」
実際、陰謀論めいた説明は無理筋で、広く理解してもらえないということは理解している、と言う福永さん。しかし、政府や役人のコロナ対応や彼らがこれまで作り上げてきた社会が、いかに彼らにとってのみ都合が良い社会だったのかを痛感し、陰謀論が流行するのも無理はないのだと話す。
働き方改革に男性の育児休暇、ジェンダー格差是正など、人間の生活や価値観をより良いものにしていこうという動きが加速している。それ自体は良いことだろうが、そのバスに積極的に乗り込もうとする人々の目に、福永さんのような境遇の立場の人々の姿は映っているのか。