関西空港の連絡橋(写真/共同通信社)
同年10月4日、両親が警察に連行された数時間後には、きょうだい4人は児童相談所の施設に入所した。健治氏が続ける。
「長女はちょうど反抗期だったけど、きょうだいの面倒をしっかりみていたと聞いたよ。贅沢な暮らしが一転して、施設で生活をしなくてはならなくなって、親戚からも縁を切られて大変だったと思う。でも長女は妹や弟にプレゼントを買うてあげたり、いじめられた時は中に入ってとめてあげたりして、きょうだいは“お母さん代わりだった”と本当に感謝していた」
施設を出た長女は、やがて最初の夫と結婚する。相手はカレー事件のことを知っていたという。
「旦那のお父さんが反対して怒ったようだけど、最終的には許してくれて一緒になった。長女と旦那と、次女とわしとでカラオケにも何回か行ったことがある」
その夫婦の間に生まれたのが、心肺停止状態で発見された16歳の娘である。生まれて間もない頃にはこんなことがあった。
「あの子(長女)はわしのことを名前(健治)で呼ぶんやけど、『これが健治の孫やで』と写真を見せてくれた。目がパッチリして可愛い顔をしてたよ。わしにとっては初孫。大事に育ててると思っていたんだけど、いったい何があったのか……」
「無実を信じていた」
健治氏は2009年に脳出血で倒れ、介助が必要になってからは、長女と連絡を取ることもなくなり交流は途絶えていた。
長女は、眞須美死刑囚の無実を訴える「林眞須美さんを支援する会」の集会に2006年前後に参加する姿が確認されている。カレー事件を取材した記者と〝再会〟し、結婚して子供が生まれたことを報告していたという。
だが、ここ10年ほどは支援者たちも姿を見ていなかったようだ。
「長女は眞須美思いの子で、もちろん無実を信じていたし、恨むようなこともなかった。手紙も時々送っていたみたいで、眞須美がすごく喜んでいた。面会にも行ってたようだけど、子供もできたし、旦那にも気を使ってあまり行きにくかったところはあると思う。その後離婚して再婚したことは聞いていたけど、4歳の娘がいたことは今回の報道で初めて知りました」
6月9日、自宅から救急搬送される16歳の娘に付き添ったのは2番目の夫だった。
「その夜、夫は路上で座り込んでいたところを発見され病院に搬送されました。“カフェインを服用して首を吊ろうとしたが失敗した”と話していたようです」(全国紙記者)