私はいつも狐の面を使う伊東歌詞太郎ご本人に取材したことがあるが、歴史好きの愉快なアーティストの感性や表現は、あの面があることでさらに自由に豊かになっている気もした。顔出しNGとテレビNGとは、まったく意味が違うと思っていた。しかし、戦略、性格、「出ない」「出さない」理由はいろいろあっても、とにかく楽曲を聴いてほしいという願いは同じなんですね。
山下達郎御大は、顔出しNGどころか、みんな顔を知っているのに、あえて音だけ。それでも十分面白かったのが、すごい。ラジオ番組が動画配信する時代に、ありそうでなかったこのやり方。というか、誰も思いつかなかったこの逆行方式。動画があって当たり前じゃないんだよ!! ある意味、新鮮だった。