夜遊びを続ける妻を市村は黙認していたが……
篠原の夜の外出は、市村が不在の時期に重なっていた。
「舞台で活躍する市村さんは地方公演が多いので、長期間家に帰らないこともあります。そのタイミングで篠原さんは、共演者やスタッフと出かけるように。朝帰りすることもあった。子供のことは気にしていましたが、お酒を飲むと盛り上がり、最後まで居残るタイプです。家にシッターさんがいることもあり、次第に頻度も多くなっていったようです」(前出・篠原の知人)
子供がまだ小さなうちは母として、そして市村が病に倒れたときは妻として努めてきた篠原。多くの女性がそうであるように、怱忙期は女であることからしばらく遠ざかっていた彼女は、少しずつ自分を取り戻しつつあった。
「外に出るようになって彼女の自由でオープンなところが戻ってきたと感じました。その雰囲気もあってか、仕事もさらに順調になっていきました。それと同時に、結婚時はまったく気にならなかった市村さんとの年齢差も気になるようになったようです」(前出・篠原の知人)
当初は多忙で外出がちな妻を黙認していた市村も、しびれを切らすようになった。
「あるとき、市村さんは篠原さんの夜遊びを注意したといいます。いつもは仕事先のスタッフとのつきあいで断れなかったと言い訳をしつつ謝る篠原さんですが、そのとき高ぶっていた篠原さんは『もう別れたい』『離婚する!』と返したようなんです。
このけんかが市村さんにとってはトラウマになってしまった。70代になっての離婚だけは避けたいと考えた市村さんは、篠原さんにある程度なら自由にしてもらっていいからと容認するようになっていきました」(前出・篠原の知人)
それからの篠原は市村が自宅にいても外出する機会が増えるようになり、深夜の帰宅が朝帰りになり──そんな妻のことを、市村は身近な人に相談していたという。
「市村さんが篠原さんの仕事関係者に怒りをぶちまけたこともあったそうです。本人は仕事と言っているが実際はどうなのか。事務所の管理がなっていないのではないかと詰め寄ったとか。一方で『浮気してもいいから、きちんと世間には隠してほしい』『子供と自分の年齢のことを考えてほしい』と、篠原さんに懇願。何があっても絶対離婚はしないと強く言い切ったそうです」(前出・篠原の知人)
1973年、篠原の生まれた年にデビューした市村は、劇団四季の看板俳優を務めた後、ミュージカルにドラマにと幅広く活躍してきた。2019年には国から旭日小綬章を受章するなど、押しも押されもせぬ名俳優。いくつもの当たり役を持つ壮年の男性が、妻のために頭を垂れる。それでも篠原は変わらなかった。
※女性セブン2021年8月12日号