早川さんは、出場辞退の最終決定を下した校長について「あの時点ではそういう判断しかできなかった」と気を配りつつ、結局のところ、批判をされないような判断に過ぎなかった、と考えている。そして、結果的に子供達を混乱に陥れる大人たちのほとんどが、この批判されないための判断をせざるを得なくなっているのだと見ている。
「万一、野球部員から感染者が出れば、親からも地域からもメディアからも袋叩きにされることは、テレビや新聞、ネットを見ていれば誰だってわかりますし、まるで不祥事を起こしたような扱いをされ、将来だって無くなるという恐怖があります。だから、子供達のためを考えつつも、出来るだけ批判されないような行動を取らざるをない。なのに、批判されまいとやったことで、生徒たちが可哀想だと批判され、話がひっくり返る。鳥取の高校生に非は全くありませんが、試合を辞退せざるをえなかった生徒たちに、なぜ二転三転したのか説明のしようがない。原因は大人たちの判断の甘さ、一貫性のなさ、無責任なのですから」(早川さん)
ちなみに、米子松蔭高校は17日に試合をするはずだった対戦相手と、21日に試合(二回戦)をして大会復帰し、その後の試合で敗戦。もともとの大会日程が次の三回戦まで余裕があったため、トーナメント自体に大きな混乱は起きていない。だが、もし日程が詰まっていたら、復帰は不可能であったに違いない。
関西地方の小学校教諭・野島智子さん(仮名・40代)は、スポーツ部を受け持っているが今年5月、コロナ感染の拡大を理由に、ある大きな大会への参加を辞退した。
「校長や教頭から、万が一のことがあったら責任を取れないと念押しされ、本当に泣く泣くでしたが、辞退の判断をしました。私たちともう数校だけが辞退で、他の多くの学校はそのまま参加。辞退した学校の中には優勝候補チームもあり、勝ち進めば夏のブロック大会にも出場していたはず。鳥取の高校野球の話を聞いた生徒たちが、私たちも試合をやり直してほしい、なぜ高校生だけなのか、野球だけなのかと聞いてくるのですが、ごめんねとしか言えません」(早川さん)
何度でもいうが、今回の騒動は全て、大人たちの判断によって引き起こされたことであり、無事に復帰が決まった米子松蔭高校野球部の生徒たちが非難をされる理由は何一つとしてなく、努力の成果を発揮する舞台に戻れた事を祝福したい。主将が後のインタビューで述べた通り、最後をグラウンドで終えられるかどうかは、球児にとってもとても重要なことだ。ただし、この結果を受けて、なぜ野球だけが、高校生だけが、そして強いチームであれば、こういったイレギュラーが許されるのかというそ複雑な思いを抱いている子供たちは少なくない。スポーツだけではない。ピアノや吹奏楽の発表会が中止になり、練習の成果を発揮する機会が無くなってしまったという事例も山ほどあるだろう。
コロナ禍で世の中が不安定になって以降、あらゆる場面で非難の応酬が繰り広げられるようになり、少しの失敗も許されない、責められることがない生き方をすべきという圧力が強くなったと感じている。そうした中で、子供達の夢を閉ざしかねない判断、そして子供達に説明のつかない理屈による判断がなされた、というのが事実である。どんな決断をしようとも、原則を尊重し、理由を説明し続けるならこんなモヤモヤした気持ちにはならないだろう。子供たちのことを考えて、選手ファーストで、と言いながら、実際には別の何かを優先していることが透けることばかり続いている。
米子松蔭高校の大会復帰そのものは喜ばしいことだろう。個別の問題はそれで済むかもしれない。だが、大人たちの根強い問題は残されたままになる。