今読むと、「その頑固さが時代錯誤の考え方を生むんだ」と怒りを呼びそうな文言である。だが、現在の状況でなかったり、張本氏の発言だと知らなかったりすれば、「SNSでの誹謗中傷に悩む人を勇気付ける言葉だ」という見方もできるかもしれない。
つまり、人の性格は表裏一体である。日本プロ野球史上歴代最多の3085安打を放った張本氏の頑固なパーソナリティはどう生まれたのか。一端が垣間見られるエピソードがある。1970年、シーズン終盤の9月15日に打率3割9分6厘と“前人未到の4割打者”が見えてきていた。結局、張本氏は3割8分3厘4毛に終わり、夢は潰えた。当時のことを、著書『最強打撃力』(ベースボール・マガジン社新書/2008年9月発行)でこう振り返っている。
〈私は後悔している。どうしてこのとき、ブルーム仕込みのセーフティーバントを仕掛けなかったのだろうかと。当時、私のセーフティーは、新聞紙上で批判されることが少なくなかった。「ホームランも打てるのに、卑怯だ」と。私もバカだから、売り言葉に買い言葉で「じゃあやめてやる。正々堂々と打ってやるよ」となってしまった。今にして思えば、なんと愚かなことよ。セーフティーだって、正々堂々とした野球のテクニックである。(中略)私は挑発に乗ってしまった。嗚呼。〉
未だに誰も成し遂げていない打率4割が手の届く所まで迫っていたのに、メディアの意見が頭に残っていたため、達成できなかった悔恨が今も残っている。だが、3割8分3厘4毛は当時のシーズン最高打率となった。実は、従来の記録である大下弘氏の3割8分3厘1毛(1951年)を超えたシーズン最終打席では、阪急の山田久志からセーフティーバントを決め、レコードを塗り替えている。
この経験が、「誰が何と言おうが、そんなものはまったく気にならない」というメンタルを生み出したのだろう。この年以降も、張本氏は安打製造機としてヒットを積み重ね、41歳まで現役を続けた。
周囲の声に耳を傾けない性格はプロ野球選手としてはプラスに働いたが、現在では古い価値観を変えられないというマイナスを生んでいる。今回に限らず『サンモニ』における数々の問題発言は、頑固な性格の負の面が出ているのだろう。
張本氏は悪く言えば「強情」、良く言えば「一本気」である。人の性格は良い方向に働く時もあれば、悪い方向に傾く時もある。だから、私としては張本氏の人格を全て否定する気にはなれない。今回の発言は、間違いなくアウトである。ただ、人間には100%の極悪人もいなければ、100%の超善人もいない。誰かの負の面が出た時には、その性格がもたらしたプラス面も想起するようにしたい。
■文/岡野誠:ライター。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では本人へのインタビュー、野村宏伸など関係者への取材などを通じて、人気絶頂から事務所独立、苦境、現在の復活まで熱のこもった筆致で描き出した。1994年のいわゆる『ビッグ発言』が当初問題視されていなかったこと、過剰なバッシングに至る詳細過程も綴っている。