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体の衰弱と断筆について医者に相談したら「書くのをやめたら死にます」と言われ──
帰る道みち考えた。/しかし、死なないために無理やり書くというのも情けない話だ。佐藤愛子は書くのをやめたら死ぬといわれて怖気づき、白髪頭ふり立てて無理やり書いている。あいつでもやっぱり死ぬのが怖いのだ、ということになっては雑文家佐藤愛子のホコリが許さぬ。先祖に対して申しわけが立たぬ。
エッセイ「さようなら、みなさん」より
●『増補版 九十歳。何がめでたい』より(単行本未収録部分からの引用)
『九十歳。何がめでたい』の読者に何か一言だけでも、と記者に促され──
「私のものを読んで、勇気をもらったっていうのが割に多いんですよね。そして、佐藤さんのように私も生きたいっていうふうに書いてらっしゃるかたも多いけれども、普通の人が私のように生きたら、とんでもない人生になりますから、それはおよしになった方がいい、反面教師として読んで下さいということですね」
旭日小綬章受章記者会見「こんなことでよろしいのかしら」より
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「最後の小説」という『晩鐘』で書く対象に選んだ元夫について──
「辰彦によって勉強したのは、人間、ひと色ではないということですね。いろんな要素が集まって人のかたちになっている。彼がこういうことをしたのは足が悪かったから、子供のころ甘やかされて育ったから、なんて分析してもしょうがない。結局、人間というのは、わからないまま受け入れる以外ないんです」
『晩鐘』インタビュー「作家としての私はこれで幕が下りた」より
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心身共に衰えの一途を辿るなか、声が大きいゆえに、人から「お元気ですねえ」と言われるが──
「わたしは九十三なのよ、わかる? 九十三という年はどんな年か。戦中戦後の苛酷な時代を生き抜いて来た九十三歳よ。もうヨレヨレよ、どんなヨレヨレかわかりますか?」
ヨレヨレヨレヨレといいながら、自分の声が朗々と響き渡っているのに気がついて、愕然とする。
エッセイ「大声という病」より