タクシー表示板の「SOS」サインの例(イメージ、時事通信フォト)
事故を起こした運転手の名前と顔写真は一部テレビ局などで公開された。名前はともかく顔まで出す必要があったのか。最近では事故の場合、遺族の申し入れで顔写真や取材を控えるケースが多いが、たとえ事故でも加害者となると警察のさじ加減だ。あおり運転や故意の暴走といった極悪な交通犯罪も今回のような不慮の事故も同じ「加害者」として晒される。
「そりゃ人様の命を奪ってしまったのだし、プロだから仕方ない部分はありますが、顔出しは怖いですね。残った家族のことを考えると」
私も加害者になるかもしれません
不運不慮の事故である。確かに運転手以外に5人もの死傷者を出してしまったことは悲しむべきことだが、あおり運転のあげく「はい、終わり」とバイクの大学生を轢き殺した犯人のように殺意が立証されたわけでも、どこぞの上級国民のように母子を轢き殺したあげく悪あがきを繰り返したわけでもない。運転手の顔と名前、晒し者にする必要があっただろうか。筆者は事故車の表示灯が「SOS」と表示されていたことについて聞いてみた。
「踏んだんでしょうね、引くやつかな、どっちにしろ無意識かもしれませんね。だとすれば、プロとしてなんとかしようとしたんでしょうね」
タクシーは危険を知らせるため外部に「SOS」と表示できる仕組みになっている。レバーは運転席にあって、踏むタイプや引くタイプなどあるようだ。信号で長く停止後に後続車のクラクションで急発進、120m進んだところで街路樹に激突ということは、運転手は体調の変化に気づいていたのかもしれない。突然死の危険性が極めて高いくも膜下出血、急な脳疾患で意識もうろうだっただろう。悲しいかな、これが精一杯だったということか。
「私だってそんな万が一、対処できるか自信ないです。タクシーに限った話じゃないですけど、運転中なんて危険だらけですよ。毎日走ってると嫌でもわかります」
確かにそうだ。今回はタクシー運転手の突発的な急病による事故だが、運転している限りいつ自分も加害者になるかわからない。筆者も44歳で急性心筋梗塞を経験している。幸い自宅で意識はあり、妻もいたため命は助かったが、これがたとえば心臓の冠状動脈5番閉塞(心筋梗塞でもっとも危険な場所、筆者は3番閉塞)だったなら即死もあり得る。それが運転中なら今回と同様に大事故となっていたかもしれない。筆者も何度かお仕事をご一緒した声優の鶴ひろみさんも首都高を走行中に急性大動脈解離を発症したにもかかわらずハザードをつけて緊急停止、絶命した。
「その女性すごいですね、私だってできるかどうか」
鶴さんは急性大動脈解離で急死するわずかな時間、これは大変なことになる、迷惑をかけてはいけないと判断したのだろう。ケレン味のない彼女らしい対処だった。今回事故が起きてしまったタクシー運転手の方もあと少し意識が続いたならばそうしただろう。つまり、こうした予期せぬ事故は大変悲しいが、遺族ならともかく社会が運転手を責めるのは間違っているし、名前どころか顔まで晒すことはないだろう。