谷はショーケンや優作と水谷を比較して、こう続ける。
「2人は野球にたとえるなら4番DHみたいな存在。一方、豊ちゃんは1番ショート。守備も上手くて盗塁もする。ホームランもそこそこ打つけど、打率をしっかり残す。主役だけど共演相手にも光を当てて、活かすことができる。今の『相棒』にもどこか通じていますよね」
先輩であり親友だった岸田森(享年43)は、当時の水谷についてこう語っていた。
〈豊は常に、極限、極限の連続で生きている男です。こんなに極限、極限で生きていたんでは、最終的に自殺する可能性さえあると思うんですよ〉(『微笑』1979年2月24日号)
見つけ出した役者像
『熱中時代』を経て、役者としてのキャリアに花を咲かせた水谷だが、その後はしばらく大役から離れる時期が続いた。
極限まで役作りに没入する性格上、立て続けに仕事を入れることはなく、ひとつの仕事が終わるたびに長期休暇を取ることが珍しくなかった。
水谷の中では、『熱中時代』のブレイクすら自分の求めたものではなかったという。かつて『non-no』(1981年10月20日号)のインタビューで、同作が消化不良だったと明かした上でこう語っている。
〈大体僕は普段から楽になりたぁい、楽になりたぁーいと思ってますからね、心身ともに。(中略)かるーくやりたいという気持ちがあるんですよ〉
多忙な芸能活動からしばらく距離を置いた水谷が、再びスポットライトを浴びるきっかけになったのが、47歳で出会った『相棒』だったのだ。2016年まで『相棒』シリーズの演出を務めた映画監督の和泉聖治氏が語る。
「右京のキャラクターもあるけど、緊張感を与えない大御所って、この業界では珍しいんですよね。武闘派の萩原健一さん、無頼派の松田優作さんと、昭和のスターはみな周囲に威圧感と緊張感を与える存在でした。でも、豊さんは違う。張り詰めたものを一切感じさせない。あの空気感は唯一無二です。
萩原さんと松田さんを間近で見て、2人が亡くなった今でも一線でやっている同年代の役者は豊さんだけ。自分だけの役者像をようやく見つけ出したのかな。豊さんの“いつまでも変わらないテンション”がある限り、『相棒』シリーズはこれからも続いていくと思います」
冷静沈着に犯人を追い詰める右京は、水谷の半生があってこそ生まれたものだった。
※週刊ポスト2021年10月29日号