イラスト/大野博美
郡正義。四年前まで警察庁長官を務めていた人物である。
特定の業界との癒着を疑われることを避けるため、警察機構の2トップ、つまり警察庁長官と警視総監は、通常民間企業には天下らないのだが、トヨトミはこの人物をアドバイザーとして迎え入れた。
目的は明らかだ。「国の中枢に入り込むこと」である。
自動車の電動化(EV化)は国をあげての一大プロジェクトとなっているが、トヨトミはこの分野で経産省と考えが合わない。郡を引き込んだ背景には、彼を次期官房副長官として首相官邸に送り込み経産省に圧力をかけると同時に、自社に有利になる法整備を行いたいという思惑が透けて見える。
ただ鹿児島県警時代、武闘派として知られた暴力団「東郷連合」の壊滅作戦を指揮して功を成した郡である。各都道府県警の組織犯罪対策部署には睨みがきく。暴力団へのクルマの販売の捜査など、ひねり潰すのは造作もないはずだ。
「これも“全車種併売”の影響なのかね」
誰に言うともなしに、多野木がつぶやいた。
「全車種併売で売り上げが落ち、尻に火がついた尾張モーターズがなりふりかまわず春日組にクルマを売るようになった、か」
「それは違うと思いますよ」
と、文乃は多野木に笑いかけた。自分しか知らないネタがある。トヨトミムーブ北名古屋の清城からの情報をもとに、栄の繁華街で取材をしてつかんだ情報だ。
尾張モーターズ社長の阪口雄一は、栄の高級クラブ「伽羅」のホステスをめぐって春日組とトラブルになった。阪口が口説いて関係を持ったホステスが、春日組の若頭の愛人だったのだ。そこに義兄の保から聞かされた、尾張モーターズによる春日組へのクルマの販売のネタ。春日組をめぐる二つのバラバラな情報を、さらに取材を重ねて一つにつなげた。
「尾張モーターズの阪口は、春日組の若頭とトラブルになって、脅されていたんです。そこで持ちかけられたのが、彼らへのクルマの販売だった。でも、上場企業である尾張モーターズが暴力団にクルマを売るのはまずい。そこで身代わりが必要になったんです」
多野木が細い目を見開いた。辣腕記者として知られる多野木を驚かせるのは気分が良かった。
「名義を貸した業者には一台売れたら三万円バックする約束で、月に三十万ほど入っていたそうです。月十台。春日組の規模にしたら多すぎませんか? あれ、絶対自分たちで乗るだけじゃなくて他の組や海外に流してますよ。ナンバープレートなしの〝さら〟の新車は高く売れるだろうなあ。かわいそうに、ヤクザの女を口説いたばかりに密輸の片棒を担がされて……」
「すごいな、おまえ。どこでそんなネタを?」
感に堪えない、といった顔で多野木が言った。一人前として認められたようでうれしい。
「トヨトミ社長の統一さんも若い頃、美人局にひっかかったんだよ。尾張モーターズの阪口も創業一族のおぼっちゃんだろ。世襲組ってのはどうしてこう脇が甘いのかね」
そして、肩をばんばんと叩かれた。
「俺はもう何年かしたら引退だけど、おまえみたいなのが出てきてうれしいよ。今日から〝多野木二世〟を名乗っていいぞ」
多野木二世。トヨトミ自動車を追いかけ続け、独身のまま定年を迎えた記者の二世……。やっぱり全然うれしくない! 多野木に体当たりし、喫煙所の中に押し込む。な、何すんだよ、と目を白黒させる多野木に向かってにやりと笑う。
「勘弁してください。私は結婚したいです」
〈了〉
※登場する組織や人物はすべてフィクションであり、実在の組織や人物とは関係ありません。
編集/加藤企画編集事務所