たとえば、安子の親友だった豆腐屋のきぬちゃん(小野花梨)は今もあの絹ごしのようなつるんとした頬で笑っているのだろうか? 風間俊介さんが演じた心優しそうな若き弁護士・片桐さんは? るいと初デートした後に別れてしまったあの人は今どうしているのだろうか?
るいの恩人ともいえる夫婦漫才のようなクリーニング店、竹村夫婦の商売は今も順調だろうか? 濱田マリさんと村田雄浩さんの顔がもう一度見たくなる。あるいは、平埜生成さんが演じた映画村の榊原さんは育ちの良さそうな優しい男のまま、人生を歩み続けるのだろうか? ……などと本筋ではないところがやたらに気になってしまいます。
きっと、一つ一つのキャラクターが丁寧に細やかに描かれていたからこそ、すぐに忘れられてしまうことはないのでしょう。
物語を展開するために使われた、いわば「都合の良い捨てコマ」キャラではなく、脇であっても人としての葛藤、やさしさや悲しさが短い時間の中にきちんと描き込まれているからこそ、一人一人の輪郭を今もはっきりと思い出せるのでしょう。視聴者もまるでご近所さんの一人のようにして、見えない縁でつながっているような錯覚さえしてしまう。
主人公の波乱の人生やわかりやすい筋だけでなく、周囲の人と人との関わりや出会った人との縁、巡りあわせすべて含んでいる。『カムカムエヴリバディ』がこれまで見たことの無い朝ドラとして「膨らみのある群像劇」になっているのは、そのせいではないでしょうか。