仲がよさそうに見える2人だが、「昔は階段から引きずり合うようなけんかをした」と明かしたことも
1982年、積もりに積もった鬱憤がついに爆発した。出張先のホテルで、ふとしたきっかけから兄弟は取っ組み合いの大げんかを始めた。近くにいた友人が止めなかったら、どちらかが死んでいたかもしれないほどの衝突だったという。
「彼らはこれを機に“別々の道を行こう”と決めて、コンビの仕事を断るようになったのです」(前出・芸能関係者)
兄弟に再び転機が訪れたのは1989年。ピーコの左目に悪性腫瘍が見つかり、左眼球摘出の手術を受けることになったのだ。兄の窮地にもかかわらず、おすぎは一向に見舞いに来なかった。
「実はこのとき、おすぎさんはピーコさんが予定していた仕事をすべて肩代わりし、全国を飛び回っていました。おかげでピーコさんは仕事を減らさずにすみました。さらにおすぎさんは、ピーコさんのために義眼を選び、友達とお金を出し合ってプレゼントしたんです。犬猿の仲といわれた兄弟ですが、おすぎさんは誰よりもピーコさんを心配していた。
手術後、満を持しておすぎさんがお見舞いに訪れたとき、医師からがんの転移がないと告げられました。2人は抱き合ってわんわん泣いて喜んだそうです」(前出・芸能関係者)
雪解けとともに、運気も好転した。当時高視聴率を誇った『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で中居正広がピーコのものまね「ヒーコ」を披露するとコンビの人気にまたもや火がつき、2人はその後『笑っていいとも!』(フジテレビ系)など人気番組のレギュラーを務めた。50代での再ブレークだった。
「もう一緒に住めない」
年を重ねるにつれて、おすぎは活動の拠点を地方に移すようになった。福岡県を中心に九州地方でラジオやテレビ番組に出演。九州での仕事量が東京での仕事量を大きく超え始めていた2010年、おすぎは福岡にマンションを借り、東京には週に一度のペースで通う生活を送るようになる。65才での“地方移住”だった。そのおすぎに異変が訪れたのは昨年の夏頃だったという。
「収録中、集中力が散漫になることが増えたんです。物覚えも悪くなっていたようで、“番組に迷惑をかけるかもしれない”と本人も不安を抱えていました。どうも認知症の初期段階のような兆候があったそうです。そこでピーコさんと話し合い、横浜の自宅で同居することになったんです。昨年の秋頃から同居となりました」(福岡の番組関係者)
おすぎは元気な頃から、「ピーコがいてくれてよかった。老後は2人で暮らしたい」「老後のお金はもう貯金してある。ピーコはお金がないから、アタシが面倒をみないと」とよく話していたという。予期していた通り兄弟での「老老介護」生活が始まったわけだが、2人を知る共通の知人は、「結果的にこの同居がよくなかったのかもしれない」と嘆く。