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【逆説の日本史】蘆花・徳冨健次郎が一高における講演で発した歴史に残る「名言」

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』(イメージ)

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立III」、「国際連盟への道 その10」をお届けする(第1343回)。

 * * *
 大逆事件で有罪とされた幸徳秋水ら十二名が処刑された一週間後、蘆花・徳冨健次郎が第一高等学校(一高)で講演した『謀叛論』は、その草稿によって内容を知ることができる。もちろん、草稿の内容と実際の講演内容が完全に一致するかどうかはわからない。ただ、私も講演経験は豊富にあるつもりだが、その経験から言うとメモだけ持って講演に臨む講師は話が右に左に飛んだりするが、草稿をきちんと書く講師はその内容からあまり外れないことが多い。話のポイントを絞るために、そして肝心なことを言い忘れないように草稿を書くというのが、そうした講師の考えだろう。だから多少のアドリブはあったかもしれないが、講演内容は忠実に示されている可能性が高いのである。

 そしてベストセラーも残した小説家徳冨蘆花には大変失礼なのだが、私はこの『謀叛論』(講演の草稿だから当然フィクションでは無くノンフィクション)のほうが、「作品」としての価値は高いと思う。言葉を換えて言えば、彼の仕事として後世に残すべきはフィクションであるベストセラーの小説『不如帰』では無く、徳冨健次郎のノンフィクション作品である『謀叛論』であるとすら思うのだ。文庫版でわずか十六ページの作品だが、まさか全文紹介するわけにはいかない。法曹界やジャーナリストをめざす若者には、機会があればぜひ読んでもらいたい。

 さて、健次郎(以下、彼のことを蘆花では無く、健次郎と呼ぶ。理由はおわかりだろう)は、幸徳が大逆罪について有罪だったかどうかは知らない。もちろん政府は「有罪だから処刑したのだ」という態度だが、この講演のなかでも「死刑になった十二名ことごとく死刑の価値があったか、なかったか。僕は知らぬ」(以下引用は『謀叛論』徳冨健次郎原著 中野好夫編 岩波書店刊 旧カナ、旧漢字一部改め)と述べている。それは裁判の内容がまったく報道されていないので判断ができないということであり、それゆえにこの裁判が大逆罪をでっち上げた暗黒裁判の可能性があることを踏まえて、そう述べているわけだ。そして彼らが死刑になったことは「彼らの成功」でもあると指摘している。

〈パラドックスのようであるが、人事の法則、負くるが勝である、死ぬるが生きるのである。(中略)かくして十二名の無政府主義者は死んだ。数えがたき無政府主義者の種子は蒔かれた。〉
(引用前掲書)

 この表現の背後には、イエス・キリストの「よくよく言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(『新約聖書』ヨハネによる福音書 12章 24節 聖書協会共同訳 日本聖書協会刊)があるのだろう。健次郎はキリスト教徒だ。だから、こんな無茶なことをすると政府の意図とは逆に無政府主義者が増えることになるという、「パラドックス(逆説)」を指摘したのだ。彼らを死刑にすれば、まわりまわって天皇や政府が困ることになる。しかし、健次郎が死刑執行すべきでは無かったと考える理由は、それだけではない。

 健次郎は前にも述べたように「天皇陛下が大好き」なのだが、その大好きな天皇を幸徳らが、健次郎がもっとも嫌う暴力で葬ろうとした事実が仮にあったとしても、絶対に死刑にすべきではないと主張する。「たとえ親殺しの非望を企てた鬼子にもせよ、何故にその十二名だけ宥されて、余の十二名を殺してしまわなければならなかったか」「陛下の赤子(=赤ん坊。引用者註)に差異はない」(引用前掲書)からである。

 この「日本人はすべて天皇の赤子である」という考え方、前にも説明したが未読の読者もいるといけないので念のために繰り返す。

 儒教の本場中国で生まれた道徳の根本項目である「忠孝」、つまり主君に対する「忠義」と親に対する「孝行」については優先順位があった。「忠孝」と順番は逆になっているが、じつは「孝」のほうが優先順位が上だ。上とはどういうことかと言えば、たとえば二〇二二年のウクライナのように母国が侵略を受けていても、軍人であれ政治家であれ、父が死んだら公職を辞して数年間の喪に服さなければいけない。そんなことをしたら国が滅びるような状況でも、儒教の世界ではそれが正しいのである。

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