1996年の松井秀喜は「メークドラマ」実現の立役者となった(時事通信フォト)
周りの主力が欠けても打ち続ける選手
岡本は“絶好調”と“絶不調”の差が激しい打者だ。今年は3・4月の月間MVPに輝いて上々のスタートを切ったが、5月は打率1割8分と低迷した。原辰徳監督が3度目の就任を果たした2019年は月間3割が1度だけで、2割5分台以下が4度もあった。コロナ禍のため6月開幕の2020年は月間2割2分台以下が3度、昨年も月間2割4分台以下が3度もあった。つまり、シーズンの半分近くが不調と呼ばれる状態になっている(試合数の少ない3月は4月と合わせて1か月で計算)。
「昨年は優勝争いの終盤に打てず、特に10月は打率2割0分7厘、1本塁打と大スランプに陥りました。岡本は不調の時期が長く、不調になる回数も多い。松井も開幕から1か月近くほとんど打てない年もありましたが、メークドラマの1996年からメジャー移籍前年の2002年までの7年のうち5年は打率3割に乗せ、他の2年も2割9分以上打ちました。岡本も調子の悪い月をどれだけ減らせるかが鍵ですね。今年はこれ以上、長期間のスランプを作らないようにしたい」
5月の岡本の不振は、坂本勇人や吉川尚輝という主軸の離脱も関係していただろう。マークが厳しくなり、打てなくなったことも考えられる。
「松井が打ちまくった1996年も、後ろの落合博満が打点王を取りそうな勝負強さで支えましたからね。坂本が腰痛で再び登録抹消されたため、また岡本に負担が掛かる。中田翔やポランコが5番で安定的な成績を残せればいいですが、そうは簡単にいかないでしょう。
1996年、落合が8月31日の中日戦で野口茂樹にデッドボールを受けて離脱した後、松井の勢いは止まりました。しかし、翌年以降は周りの選手が誰であろうと、松井は安定的に成績を残した。2002年は5番の清原和博が怪我で何度も戦線離脱しましたが、5番が誰になろうと、松井は打ちまくって他の選手を引っ張った。原辰徳監督の理想の4番は、あの年の松井でしょう。周りの主力が欠けても、岡本が関係なく打ち続ける。そんな姿を今年見せられれば、メークドラマの再現もないとは言えない」
巨人が今年、奇跡の大逆転Vを実現させるためには、岡本のさらなる飛躍が必須条件なのかもしれない。