だがある日、都内の私立小学校に通う〈矢野悠くん〉12歳を自宅に訪ねた片桐は、約束の時刻に呼鈴を押しても一向に出てこない母親や、やっと出てきたものの噛み合わない会話、なぜかずぶ濡れの少年の髪や玄関前に散乱した生ゴミ等、何かが少しずつおかしいその家に、〈違和感〉を拭えなかった。
やがて言葉にならないその違和感が1つまた1つと像を結び、それこそ真相が結末で一気に明かされる、どこか懐かしいような王道や定型を、結城氏はあえて踏襲する超新星でもあった。
「ミステリの作法とか常道には敬意を表しつつ、そこに描かれる人間模様や題材で新しさを見せたいなあと。アガサ・クリスティーもエラリー・クイーンも、例えばマッチングアプリの怖さなんて絶対に書き得なかったはずなんで(笑)。
そうやって先人が踏み込めなかった領域に今だから踏み込める立場を特権的に使い、そこからまた新しいミステリの可能性を開拓していけたらという思いが、モチベーションとしてあるんです。ただし題材については、新しいといっても僕の周りに普通にあるもの、まあ精子提供は若干距離があるので調べましたが、Yahoo!ニュースやTwitterで普通に目にするレベルの情報で、読者の日常とも地続きな題材しか選ばないようにしました」
正解のない世界を僕らは生きている
元々は「迷惑系YouTuberのような一昔前はありえなかった存在」が人や社会に及ぼす波紋を描こうとして、構想を練り始めたという。
「わざわざ犯罪紛いのことまでして自分を晒し者にしたり、それを観る側も楽しみにしたり、新しい技術やプラットフォームが出来たことで、従来にない現象や心理が生まれつつある。
そういうここ数年で急に根付いた物事、特にそのつい見逃しちゃったりする負の一面を劇的に切り取ることを、やってみたかったんですね。僕もYouTubeは大好きで、その時間を執筆に回せよと思うくらい観るんですけど、私生活を切り売りする彼らが暴走してもおかしくはないし、『マッチングアプリって怖いね』と言うのは簡単でも、実際は何がどう怖くて、どんな危険が潜むのかというあたりを、今作ではバチっと切り取って、食らわせにいきました。
別に警鐘を鳴らしたいとかではないんです。人間は良くも悪くも慣れる動物で、それが普通の日常になった途端、何も考えなくなる。それって凄く怖いことだし、当たり前を当たり前として妄信するのがいかに危険か。むしろこれって便利だけど怖い面もあるとか、両面を考えることで視界が広がるきっかけに本書がなれたりしたらもう、御の字です」