「実は私自身、あ、あの時、あたしはこういう光景を見ていたんだなって、書いてみて気づかされた感じもある。書いてる最中はカシャ、カシャッて、その脳の中に焼き付いた光景を順次描写しないとマスが埋まらないじゃない? それを後で読み直した時に、あー、そうだったんだって。
俳句と散文の描写はまるで違って、俳句の場合はネガを1枚1枚、丁寧に切り取って言葉にする。かたや散文は場面の連なりがそのまま文章になり、今回はホント、書くつもりのないことまで書かされちゃいました」
〈俳句は、自分の外にある全てのものとの交信だ。金木犀の香りも、蜻蛉の羽がかさかさ鳴る音も、秋の水の光も、私たちの脳内にあるのではなく、私たちの外にあるもの。それらから句材をもらい、十七音に切り取っていくのが俳句だ〉とある。その景色や匂いを、17音という最も短い詩の中にいかに「圧縮」し、鑑賞者は鑑賞者でいかに「解凍」するか。しかもこの「圧縮」も「解凍」も論理的に身につけられる「技術」だと、『プレバト!!』で示して見せた夏井さんは、俳句の面白さや勘所を部外者にもイメージしやすい言葉で語る、命名力の人でもある。
「例えば俳句は人生の杖というのも、俳句は高尚な文芸でもなんでもなく、自分のために詠んでいいってことを、敷居が高いと思い込む人たちにどう説明すれば伝わるのか、考えに考えた結果、思いついた言葉なんですね。
そうやって句会ライブやラジオで言い方を工夫するうち、家族が病気だとか介護がしんどいとか、人生のつらい局面に出くわした時ほど皆さんが『組長の言う意味がわかりました』と。『たとえ俳句の形にはならなくても、思いを書きとめ、客観視することが、自分の杖になった。鬱のど真ん中には沈み込まなくて済んだ気がする』って。そうか、この言い方なら伝わるんだと思って、使うようになったんです。
伝わる・伝わらないっていうのは、私らの仕事には死活問題ですからね。伝わらないのは生徒のせいだなんて、給料を貰った教師が言えるはずなく、『プレバト!!』だって出る以上は入念に準備し、技術を日々磨くしかない。中には失敗する現場もありますけど、客のせいにするより何を間違えたかを考えたいし、〈失敗はデータや〉って、これは中学のバレー部の顧問で、私がシングルマザーになった直後に住んだ家の大家さん、フルカワ先生の言葉ですけど、本当にそう思う」
他にも、父の死後、ずっと泣けずにいた彼女に〈無心で手を使うこと〉を教えてくれた同僚教師や、再婚の挨拶をした際、〈夏井いつきは貧乏です! 再婚する以上は、心して支えてやっていただかねばなりません〉と言い切った黒田杏子先生など、言葉が人と人を繋ぐ光景が本書には溢れている。