エッセイ集『瓢簞から人生』が話題
「句会ライブでも、 来る人の目的は私じゃないの。俳句の世界には俳号は知ってるけど、顔も素性も知らない、ヨコの繋がりがあって、作家でも鑑賞者でもある同士が互いのファンにもなれる。つまり俳句自体が接着力をもっていて、俳号しか知らない同士が名刺交換したりするのを、私はニヤニヤ見てるのが好きなんだよね~。
そういう非日常の付き合いを楽しむのが俳句で、『私の句が、あなたの句でもある』という奇蹟まで、時には体験できたりする。別にそれは市井の一愛好家にも起き得ることで、そうやって言葉が育ち、心や人が育ったら、日本はいい国になると思わない?」
そう。俳句甲子園も、悪態俳句も、彼女の目的は俳句の普及だけになく、最終目標は?と最後に聞いてみた。
「あ、それは100年後に結論が出るんです。100年後により高く美しい俳句の山が聳えているとしたら、その裾野も当然広がっていて、大人たちの言葉が育ち、子供たちの心も育った、豊かな社会が実現しているはず。
と言うと『また組長の大風呂敷』と言われちゃうけど、教育は100年先を見て、という思いは昔から変わらないし、そのためのアイデアを蒔くことなら私にもできる。悪態俳句のような種も、それを若い人がいいと思えば、私が死んだ後も続くでしょうし。
今のいつき組を支えてくれている中にも、自分は俳句で幸せになれた、だから周りにも『温かい小石を渡す』と言ってくれた子がいて、その温かな小石を介した関係がどんな山や社会を築くのか。私自身は成果を見られませんけどね。どう考えても!(笑)」
〈富士山が美しいのは、広くて豊かな裾野があるからだ〉と、まずはできることから始めるのが夏井流。お茶目で大真面目なその視線の先には、言葉も心も豊かな「みんなで生きる」社会像がある。
(了。前編から読む)
取材・構成/橋本紀子 撮影/藤岡雅樹
※女性セブン2022年8月18・25日号