抜けるような青空の下での試合だった
東海地区の選考委員長であった鬼嶋一司氏(元慶応大監督)は、東海大会準優勝の聖隷ではなく、優勝した日大三島(静岡)に準決勝で敗れた大垣日大(岐阜)を選出した理由として、「個々の能力の差」「投手力の差」「甲子園で勝てるかどうか」を挙げた。それはつまり、エース・弓達を右ヒジの故障で欠きながらも、120キロ台の投手陣を駆使し、控えのメンバーを含む総力戦で勝ち上がった聖隷の戦いを評価しなかったことを意味する。
もちろん、選抜は招待試合であり、秋の静岡大会、東海大会は選抜の予選ではない。それゆえ、選考委員の代表校の決定は選考委員の裁量次第ではある。だが、聖隷と大垣日大に戦いぶりや投打の数字に明確な差はなく、それならば成績上位校である聖隷こそ出場校にふさわしいはずだ。
そもそも選考を特定の人物が主導したのではないかという強い疑念を抱いた私は、校長という立場もあって表だった発言を控えるようになっていった上村監督や物言えぬ聖隷ナインの代弁者のような気持ちで、記事を発表し続けた。
鬼嶋委員長や選考委員の一人であった渡辺才也静岡県高野連理事長(当時)らを直撃して、選考の過程に瑕疵がなかったかを取材し、記事では規定の32校に新たに1枠設けて聖隷の出場を認める救済措置を求め、訴えかけた。
ところが、大会を主催する日本高等学校野球連盟(日本高野連)や毎日新聞は落選の理由に関して「詳細な内容は公開になじまない」という冷たい対応に終始し、33枠目が聖隷に与えられることはなかった。そして、選抜の開催期間中だった3月27日に春季静岡県西部地区予選に臨んだ聖隷は、常葉大菊川に0対10と7回コールド負けを喫した。
選考委員9人のうちのひとりだった静岡県高野連の渡辺理事長はこの日、姿を見せず(この直後に理事長職を退任)、まさかの初戦敗退に試合後は多くの報道陣が上村監督を取り囲んだが、静岡県高野連の関係者は誰も取材現場を取り仕切ろうとしなかった。上村監督と静岡県高野連の間には深い溝が生まれているようだった。
6月の最終週になり、私は7度目となる聖隷のグラウンドを訪れた。夏の静岡大会を前に、上村監督は「今までの夏とは明らかに違います」と話した。
「私自身に燃えたぎるものがないんです……。それが選手に伝わっているのかもしれない。だって、昨年の秋のようなギラギラしたものが戻ってきていないですもん。この子らの内面というのは、本当にわからないんです。“めっちゃ悔しい”なのか“やってらんねえな”なのか。いろいろあるだろうけど、彼らは絶対に口には出さないんです」
私自身に燃えたぎるものがない――それは本心であるはずがない。いまだ煮え切らない感情があるからこそ、つい投げやりな言葉や恨み節を口にしてしまう。
