最初の結婚は33歳のとき
初婚のお相手は2歳年下の米国人(撮影/黒石あみ)
32歳で帰国後はフジパシフィック音楽出版と専属作曲家契約を結び、中村雅俊や稲垣潤一らに楽曲を提供。アミューズの新人への歌唱指導を経て、45歳から7年間はJICA(外務省所管の独立行政法人国際協力機構)の嘱託職員になり、語学スーパーバイザーとして研修生の指導・管理、教材整備、語学教師のとりまとめ役などを担っていた。
「楽曲提供やアミューズで歌唱指導をしながら、通訳や翻訳、神田外語学院や立正大学で英語講師もしていました。その縁で『JICAの事業の面接試験を受けたら』と勧められ受験したら採用されました。僕は父方に教育者が多く、母方にはオペラ歌手や染織家など芸術方面に進んだ人が多い。H2Oを解散後、ずっと英語教育と音楽に携わってきたのは、その両方の血が流れているためかもしれません」
JICAとの契約終了後、英語と音楽を教える会社を設立し現在に至るという赤塩さん。プライベートでは結婚・離婚も経験。現在は、JICA関連で知り合った女性と2007年に再婚し、2人暮らしだ。
「最初の結婚は33歳のとき。相手はニューヨークで英語を教えていたときに知り合った2歳年下の米国人です。日本で結婚し日本で作曲家として活動していたのですが、結婚5年目に彼女が帰国を希望し、僕は日米を行ったり来たりしていました。1人娘が生まれたのですが、妻とはすれ違いが多くうまくいかなくなり……。まだ娘が小さかったので、子どもとの別れがつらくて落ち込み、1人で川べりを散歩していると涙が出て止まらなかった時期もありましたね。
そんな娘ももう24歳になり、今ではビデオ通話ソフト・FaceTimeでしょっちゅう話していますよ。米国中部ミネソタ州ミネアポリスの、教育機関の会社でスーパーバイザーをしています。プロ歌手になる夢も持っているので、がんばってほしいですね(笑い)」