H20相方には「感謝の気持ちでいっぱい」
H2Oの“思い出”をたくさん語った赤塩さん(撮影/黒石あみ)
公私ともに紆余曲折、いろんなことがあったのだ。ところで、H2O再結成はないのか。
「1999年に、僕らH2Oの出身地・長野県の上田市から市制施行80周年のイメージソングを作ってほしいと依頼され、再結成し『ここにおいでよ』を歌っていたことがあります。その後、堅司は奥さんの実家のある熊本に移住して活動しているので、今また一緒に、というのはなかなか難しいかもしれません。一緒にやりたくないわけではありませんよ。僕らは関係がギクシャクした時期もありました。
でも、デビュー前、東海大学の学生で湘南に住んでいた彼のアパートで一緒に朝まで曲を作ってコードを教え合い、ハモり……夕方に起き出して蕎麦屋でカツ丼を食べて……毎日がすごく楽しかった(笑い)。そんな日々が今は懐かしく、僕の青春でした。60歳を過ぎてみたら、僕の中ではわだかまりが無くなり、彼にも感謝の気持ちでいっぱいです。今は、たくさんの人が求めてくれる『想い出がいっぱい』を歌い継ぐことが大事なんじゃないか、と思ったりしています」
『想い出がいっぱい』は人気アニメ『みゆき』のエンディングテーマ曲となりヒットしたが、当時、歌っていた2人には複雑な思いがあったそうだ。
「『想い出がいっぱい』の素晴らしいメロディーは鈴木キサブローさんの曲で、作詞は阿木燿子さん。僕らはシンガーソングライターでしたから、自分たちが作った曲で勝負したかったのに、『ウレセンじゃない』と勝負させてもらえなかった。実力がなかったと言われればそれまでですが、当時はヒットしても自信喪失していました。
もちろん、『想い出がいっぱい』がいい曲だとは思っていました。最初にキサブローさんのロックっぽい歌声でデモテープができてきたときはイメージがわかず、阿木さんの歌詞が載って爽やかに仕上がったときは『すごい、これがプロか』と驚いて、あれよあれよとヒットして……当時のほとんどの歌番組に出演しプロの世界を見せてもらえた。僕にとっては、青春を豊かにしてくれた名曲です」
『想い出がいっぱい』の後は音楽と英語という2つのジャンルでキャリアを積んできた赤塩さん。今はその経験を生かし、また表に出る活動を増やしていきたいのだとか。
「5、6年前から僕自身が表に出る活動も再開しました。毎週金曜日、SBC(信越放送)ラジオで洋楽の名曲を歌い英語を交えて解説する、というコーナーを担当したり、これまで書きためた曲が200曲ほどあるので、YouTubeで少しずつ発信したりしています。
このほかに、2年前に『Memes(ミームズ)』というユニットを結成し、井手麻理子さん、番匠谷紗衣さんと3人でコンサートをしています。英語の番組もやりたい。これからはこうした活動を増やしていきたい。憧れていた加山雄三さんや吉田拓郎さんが引退を宣言したりするのを聞くと、『僕も急がないと人生が終わっちゃう!』と焦りを感じるようになりました(笑い)」
美しい高音の歌声は健在。“アラ還の青春ソング”を聴かせてほしい。
◆取材・文/中野裕子 撮影/黒石あみ
