救いは子供たちの存在
その母親も2020年7月、91歳で亡くなった。
「まさにコロナの真っ最中。体調を崩したと知らされてもほとんど見舞いにいけないなか、亡くなってしまいました……」
次から次へと困難が降りかかるが、救いは子供たちの存在だ。妻や母の世話をしながら、育てあげた子どもたちは今、24歳と22歳になった。
「オネーチャンは大学を出て就職し、家を出て独立しています。だから、今は大学4年生の息子と、6歳のオスの豆柴と、2人と1匹暮らし。オネーチャンは『誰かいい人、いないの?』と気遣ってくれるけど、息子が大学を卒業して自分の生きる道を見つけるまでは、息子を見守ることが優先ですね」
今も掃除、洗濯、料理など家事を担うのは岩本さんだ。
「洗濯物は干して、取り込んで、畳んであげて……習慣だから苦じゃない。甘やかしてる? お母さんがいなくて寂しい思いをさせてしまってかわいそう、という思いがあるんですよ。自分も仕事で家を空けることが多かったし、泊りの仕事のときはヘルパーさんに来てもらっていましたけど、そんな家庭環境じゃグレてもおかしくない。
それなのに、長女はソフトボール部、長男はサッカー部の活動に打ち込んで、反抗期なんてまったくなくて、いい子に育ってくれました。寂しくても一生懸命がんばって成長する姿に、自分のほうが教えられました」
恵美夫人が亡くなったときは、岩本さんが長男に甘えたという。
「嫁が天国にいったあと、2人でベッドを並べて寝ていた寝室にしばらく入れなくてね。中学1年生だった息子の小さいベッドに潜り込んで、10日間くらい一緒に寝ていました。夫婦の寝室は、彼女がほとんど1日中過ごし、晩年の彼女のほとんどすべてが詰まっている部屋だったから……。
彼女はオレより10歳年下の一般の人。同じ札幌出身でお酒とかゴルフとか、楽しみを共有できる人でした。まさか自分が介護をすることになるとは思っていなかったけど、嫁の介護をしながら子供2人を育ててみると、人生って自分の力だけでは生きていけない、いろんな人に助けてもらわないと乗り越えていけないんだ、ってことがよくわかりましたね」
芸能界でバリバリ活躍していた状況から一転、10年以上もの間、介護と子育てに追われたが、仕事を思いっきりやれなかった悔しさはなかったのだろうか。
「やりたかったこと、行きたかったところ、できなかったこと……いっぱいあります。でも、言ったところで取り戻せない。神様は乗り越えられない試練は与えないといいますよね。後悔しないよう精一杯やって、いい時間にして、卑屈にならないようにしています」