事務所スタッフでもあった長女の結婚もあった
玉緒はAさんが事務所スタッフのBさんと“再婚”したことにも不満を露わにしていたという。
「Aさんは若い頃に一度、結婚していますが、1年あまりで離婚。その後は玉緒さんの麻雀仲間で、元運転手のBさんと交際していました。再婚後、Bさんが勝さんの本名である奥村姓を名乗るようになったことにも玉緒さんは複雑な思いを抱いているようです」(奥村家の知人)
「大麻は入ってまへんで」
東京・港区にたたずむ日蓮宗の古刹、蓮乗寺。『座頭市』や『兵隊やくざ』など数々の名作に出演し、破天荒な生き様が語り継がれる勝新太郎の墓にはいまも多くのファンが訪れる。
「鴈龍さんと勝さんの兄の若山富三郎さん(享年62)も同じ墓に眠っています。2003年の七回忌には玉緒さんとAさん、鴈龍さんの3人が揃って墓参りをしたことが報じられましたが、今年はAさんと玉緒さんが別々でお参りをしたと聞いています」(前出・奥村家の知人)
玉緒は1939年、京都生まれ。父は人間国宝の歌舞伎俳優2代目中村鴈治郎。一昨年に他界した四代目坂田藤十郎は実の兄で、その妻の扇千景は義理の姉に当たる。
「若い頃から女優を志望し、10代半ばで銀幕デビュー。幼なじみの市川雷蔵や山本富士子を支える脇役として活躍し、映画『不知火検校』(1960年)で共演した勝さんにマネジャーを通じて口説かれたのです。名門一家に生まれ、お嬢様育ちの玉緒さんは、料理も家事もほとんどできなかったといいますが、勝さんはべた惚れで結婚前提で交際を申し込んだといいます」(映画関係者)
勝さんの父は長唄三味線の大家・杵屋勝東治。次男として生まれた勝さんも19才の若さで二代目杵屋勝丸を襲名した天才奏者だったが、ジェームズ・ディーンに憧れて役者に転身。下積みを経て銀幕スターに上り詰めた。
「結婚は1962年。度を越した浪費癖と父親譲りの女道楽で、結婚生活ははじめから波乱含みでした。玉緒さんも負けん気が強くけんかになると勝さんはよく言い負かされていたといいます」(勝さんの知人)
浮気を繰り返し、借金のカタに家屋敷を取られる生活に愛想を尽かした玉緒が離婚を考えたことは一度や二度ではなかったという。
「特に鴈龍さんが生まれてからの勝さんは家に寄りつかず、自宅近くの全日空ホテルを定宿にして女性を連れ込んでいました。後に勝さんが書いた自伝で18才のときにもうけた『隠し子』がいることが発覚。玉緒さんは放蕩三昧の夫にあきれかえっていましたが、その後も黙って耐え続けたのです」(前出・映画関係者)