暴力で支配され薬物依存に
歌は、華原にとってなくてはならないものだ。グラビアアイドルを経て1995年に歌手デビューすると、2枚目のシングル『I BELIEVE』、3枚目の『I’m proud』が立て続けにミリオンセラーを記録。プロデューサーの小室哲哉氏(63才)とのオープンな交際も話題を呼んだ。順調なキャリアが暗転したのは1999年。自宅でガス中毒で倒れ、緊急搬送されたことが大々的に報じられ、小室氏との破局も取り沙汰された。
「事故の半月後に復帰会見を開きましたが、向精神薬などの過剰摂取が噂され、可憐だったルックスも様変わりしてしまった。その後も仕事をドタキャンするなど“お騒がせ”続き。2007年から2012年にかけては、シングルを一枚も発表していません」(前出・スポーツ紙記者)
2015年に出版した自伝『華原朋美を生きる。』(集英社)で華原は2006年から2010年まで交際していた男性から暴力で支配され、薬物依存に陥っていたことを明かしている。
「暴力を振るわれることで不安になり、精神安定剤に手を出して依存する悪循環に陥ったことを告白したのです。当時の彼女はドン底にいました」(音楽関係者)
光明が差したのは2019年。外資系企業勤務の男性との交際を報じられ、未婚のまま男児を出産した。
「経緯は謎めいていたものの、周囲は出産を歓迎していました。ずっと不安定だった華原さんが母親になることで生活を立て直し、かつてのように活躍してくれることを誰もが願っていたのです」(前出・音楽関係者)
事実、出産は華原に前を向かせた。一時は79kgまで増えた体重を、過酷なダイエットで50kg台に戻すと、インスタグラムで水着姿を披露。新しい仕事への意欲ものぞかせた。
「音楽活動にも本腰を入れるようになりました。その頃から華原さんに常に寄り添い、勇気づけたのが、ほかならぬA氏だったんです」(前出・芸能関係者)
華原の息子もA氏を「パパ」と呼び、懐いてくれたことも大きな喜びだったという。最愛の息子とパートナー、そして大好きな歌。華原が望むものはすべて整ったはずだった。だが、A氏の仮面が剥がれ落ち、華原の中で不信感が芽生えていった。
「報道で前妻へのDV疑惑を知った華原さんは『ちょっと怖いなぁ』と漏らしていました。A氏から暴力を振るわれたことはないといいますが、過去に経験した恋人からのDVやそれによる薬物依存の記憶がよみがえってしまったのかもしれません」(前出・芸能関係者)
A氏の言動が、華原の活動に悪影響を与えていることは明らかだった。
「10月9日にYouTubeで行った会員向けの配信で、華原さんは新曲に込めた思いを語ったのですが、終始陰鬱な表情で声も暗く、ファンから心配の声があがったほど。一方で、数日後には別人のように明るく振る舞い、機嫌よく料理をする姿を披露するなど感情が不安定な様子が見て取れたのです」(前出・音楽関係者)