すみれの1か月検診に都内の病院を訪れた松原さん(1990年8月)
「ゴルフ好きだった石田さんのコメントを求めて、早朝からゴルフ場前には各テレビ局の10数台の車が集まるのは日常茶飯事。芸能リポーターやスポーツ記者、雑誌の記者ら40人くらいのマスコミに囲まれても普通に受け答えをしてプレーするのが石田さんでした」(川内氏)
もちろん松原さんにマイクが向けられたこともあったが、《常に二号さんがいましたし、祇園でお金をパーっと使ってしまうような人でした》という父親の豪快さも“芸の肥やし”と受け止めていた彼女は、スキャンダルにも「役者の女房ですから」とあくまで気丈に振る舞った。
「印象深いのは、マスコミの前の松原さんはいつも笑顔だったことです。容赦ない質問を浴びせられても、『はいはいはい、失礼します』と軽くあしらうこともありました。諦めて夫としてみなしていないのか、それとも怒りが頂点に達しているからか、憂いのない満面の笑みで女優として動じない妻を演じていたように思います」(川内氏)
騒動から守るため、幼かった一人娘のすみれを連れて日本を離れハワイに移住した松原さんは、1999年に石田と離婚が成立。その後8才年下のアメリカ人語学教師との間に長男が誕生、再婚するも2009年に離婚している。
松原さんと石田は、2015年に元夫婦としてすみれとともにテレビ番組に出演。26年ぶりの共演となった同番組内で松原さんは、「あなたも可哀想だったよね」と石田に伝えている。その真意を、前出のエッセイの中で松原さんはこう明かしていた。
《彼の周りには、たくさんの女性や、いろいろな話を持ってくる人たちが寄ってくるようになりました。(中略)群がってくる人たちは、けっしてあなたの人間性に引かれているわけじゃない。あなたが今売れている俳優だからなのよ……と、外野から見るとそう思うのですが、当人にはなかなかわからない。「有名」という渦に、巻き込まれてしまう。(中略)つい、いい顔をしてしまう。そういう隙にいろいろなものが入り込んできたのでしょう。そこが可哀想だなと思いました》(松原千明著『ただ、愛した』より)
自分と娘から離れていった石田になお同情を寄せただけでなく、松原さんは「ありがとう。あなたから頂いた大事な大事な宝物(すみれ)があるから生きていける」と感謝の言葉も送っている。松原さんから受けた愛情が大きかった分、残された者の喪失感はいかばかりか。
11月17日(木)発売の『女性セブン』では、現地・ハワイの警察が駆けつけたという10月8日の様子、松原さんの死因、知人たちが明かす晩年の状態、すみれとの関係、そして息子・達也さんの告白など、4ページにわたって詳報している。