打撃投手から現役復帰した有沢・西・栗山
過去にはバッティングピッチャーから現役復帰をした例もある。1978年のドラフト3位で日産サニー札幌からヤクルトに入団した有沢賢持は一軍登板なしのまま3年で解雇され、打撃投手に転身した。しかし、34歳になる1984年、左の中継ぎ不足に悩む土橋正幸監督に打診され、現役復帰を果たす。有沢はこの年、22試合に登板して勝ち負けは付かなかったものの、防御率2.60と好成績を残した。8月30日の阪神戦では同点の場面で登場して4番の掛布雅之、5番のランディ・バースを打ち取った。翌年も23試合に登板したが、故障もあって同年限りで現役を引退した。
「当時は今よりも選手の寿命が短かったですから、34歳は結構なベテランでした。ですから、来年36歳になる海田が打撃投手を経て現役復帰できる可能性もゼロではなかったかもしれません。阪神の岡田彰布監督は意外なアイディアでファンをあっと驚かすタイプですし、オリックス監督時代に海田を指名して1年目から一軍で起用していたという縁もあります。ただ、そうはいっても現役復帰の確率は限りなく低い。それに打撃投手として採用されているのに、現役復帰への野心が見えたら雇ってくれているチームに対して失礼になってしまう。そういうことも考えて、海田は断ったのかもしれないですね」
打撃投手からの現役復帰は西清孝(元南海・ダイエー、広島、横浜)や栗山聡(元オリックス・中日)なども果たしている。
「西の場合は選手との兼任でしたが、栗山は2003年オフに中日から戦力外通告を受け、次の年にオリックスと打撃投手として契約しました。しかし、伊原春樹監督が目をつけて現役復帰し、自己最多の28試合に登板しています。
有沢にしても栗山にしても、30代で復帰してキャリアハイの登板数を記録した。プロに入る選手はキッカケさえあれば、年を取ってもある程度の数字を残せる。だから、海田も福井もまだまだやれると自分で考えているし、実際チャンスとチーム事情というタイミングが重なれば活躍できる可能性はあると思います。ただ、どの球団も同じ実力ならベテランよりも将来性のある若手を使う。この事情はいつの時代になっても変わらないでしょう」
来年、福井は独立リーグの福島レッドホープスに所属し、NPB復帰を目指す。海田はアマチュア野球の指導をしながら、4歳から始めた趣味であるキャンプの知識を生かして『ギアショップ』の開業を目指すという。