1995年にも防衛施設庁長官がオフレコで沖縄の米軍基地強制使用問題について「(当時の村山富市)首相の頭が悪いから」と発言したことが、報じられたことも(写真は岸田首相ら/JMPA)
これまでも、政権幹部のオフレコ取材の内容が報道され、騒動になったケースはあった。
1995年10月、防衛施設庁長官が記者団とのオフレコの記者懇談で、沖縄の米軍基地強制使用問題について「(当時の村山富市)首相の頭が悪いから」と発言したことが報じられ、辞任した。同年11月にも総務庁長官がオフレコ懇談で「植民地時代、日本は韓国に良いこともした」と発言し、長官を辞任した。
2002年には福田康夫官房長官(当時)がオフレコの記者懇談で「非核三原則」見直しに言及したことが「政府首脳」発言として報じられ、後に自身の発言だと認めた。
続く2009年3月、漆間巌官房副長官(当時)がオフレコ懇談で西松建設の巨額違法献金事件の捜査について「自民党議員に波及する可能性はないと思う」と発言した。
2011年はとくにオフレコ取材に関する議論が活発化した年でもあった。同年7月、松本龍復興担当相(当時)が宮城県庁で知事と会談する際、先に応接室で待たされた格好になった松本氏が「お客さんが来る時は、自分が入ってからお客さんを呼べ」と発言した後に報道陣に「今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。書いたらもうその社は終わりだから」と“オフレコ恫喝”した。東北放送(TBS系)が先陣を切り、連日大きく報じられる事態となった。被災地訪問での「知恵を出さないやつは助けない」発言などの問題もあり、就任してわずか9日で引責辞任となった。
同年9月、福島第1原発周辺の視察を終えた鉢呂吉雄経済産業相(当時)が東京・赤坂の衆院議員宿舎玄関ホールで記者団に「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をし、フジテレビが最初に報じた。鉢呂氏は会見での「死の町」発言もあり辞任した。