きっかけは「ハローワークの職員の一言」
もう芸能界には戻らない。そう決めていたが、運命はどう転ぶか分からない。仕事を探すために職歴を書いた紙を持参してハローワークに行ったところ、話を聞いてくれた担当者の女性から「ねぇ、芸能界に戻ったら?」と助言された。ワークショップで演技指導と映像制作の仕事を経ると、物作りへの興味が再燃した。31歳の時に舞台に復帰すると、脚本、演出を手掛ける仕事が次々に舞い込む。2020年7月に妻・ちづるさんから提示された再婚の条件は、「モノを作り続けて欲しい」だった。
「人生は分からないですよね。僕はこう見えて受動的な人間なんです。来た仕事を死ぬほど一生懸命にやることが小さい時から染みついちゃって、自分から仕事を探すよりパフォーマンスを発揮できる。でもアルバイトの経験はモノ作りに役立っています。例えば、引っ越しの瞬間って人生の物語なんです。団地から一軒家、一軒家から賃貸のマンション、一緒に住むカップルがいれば、別れのタイミングで引っ越しするカップルもいる。お客さんのプライバシーなので深入りはもちろんしないけど、アルバイトで大事な家具や物を運ぶと感じるものがある。色々な部屋を見てきた蓄積があるので脚本もイメージがしやすい。3年間色々なバイトして、映画作りを半年間するみたいな生活サイクルだったら凄い作品が作れるんじゃないかって、本気で思っています」
今年に入り、脚本・演出を手掛けた舞台『シン・デレラ』は妻・ちづるさんが主役を務め、2歳の長男も公演中1日だけ特別に出演。黒田さんは息子を背中に背負って仕事場を駆け回っていた。
「保育園に送り迎えに行く暇がないので。でも苦労している感覚は全くありません。むしろ作品作りに助けてもらってます。大人と違って子供は忖度しない。リアクションを見ていれば面白い場面かどうか分かる。スタッフにも可愛がってもらってますよ。毎日稽古場に来ていたので、舞台が暗くなると『あんてーん!』って叫んでいた(笑)。舞台に出た時も爆笑をかっさらって。いまは息子が5歳になったら脚本を作ってもらって、それで舞台をやるというのが家族の大きな目標です。
将来ですか? 子役にならなくてもいいし、好きに生きればいい。僕も好き勝手に生きた人生だから。ただ、僕と違ってお金に執着ある人間にはなってほしいかな(笑)」
美少年として絶大な人気を誇った童顔の面影を残す一方、時折見せる憂いを帯びた表情に41歳という年齢を感じさせる。
「夜に泣く時もありますよ。モノ作りって苦しい時間がほとんどですから。でも、僕が苦しそうな姿を表で見せたら、作品を見た人が楽しくないじゃないですか。舞台を見てお客さんに喜んでもらって、演者やスタッフと打ち上げで『あのセリフがいいよね』、『あの表情がよかったよね』って言い合い、夜明けに『じゃあね、また一緒に仕事しようね』って解散する。その後、電車の始発まで、公園でビールを1人で飲む瞬間が最高なんです」
芸能活動とアルバイトを両立する多忙な日々で休みはない。天才子役と呼ばれ、一世を風靡した時代に比べれば注目度は下がり、稼ぐ収入は大幅に減っただろう。だが、名声や富が幸福度に必ずしも比例しない。
「子供の時はお金を稼いでいる実感がなかったし、使うこともなかった。うーん……30歳になるまでふわふわしていたし、自分を掘り下げていなかったと思います。遠回りしているように見えるかもしれないけど、今が一番幸せかな。だって大好きな家族と仕事の話をできる。こんな最高な環境ないですよ。そう思いませんか?」
大きな瞳を見開き、満面の笑みを浮かべた。
取材・文/平尾類(フリーライター) カメラ/木村圭司
【後編に続く】