それにしても名前を覚えると、あら不思議。それまで何のためらいもなく踏みつけていた雑草がいとおしくなったのよ。同時に、世の中が少し面白くなってきたの。
というのも、「大丈夫か!?」と植物学者のセンスを疑うような名前があるんだもの。野良道に咲く可憐な青色の小花に、どうしたら「オオイヌノフグリ(“犬のタマタマ”の意)」なんて名前をつけられるのよ。古くからある「イヌノフグリ」に似ていて、大きいかららしいけど、どっちにしてもいまなら絶対に認められないんじゃない? もっとひどいのが「ママコノシリヌグイ」だね。茎のトゲが逆立って生えているのが“継子イジメにちょうどいい”ってのが命名の理由で、韓国では「ヨメノシリヌグイ」って、揃いも揃ってどんな神経してるの?
で、農業高校の甲子園に出た私の成績はというと、まあ、学校代表で旅行するのが目的だから、結果は箸にも棒にも……。とはいえ、このときの車中1泊、現地3泊の旅は、私にとって大きな出来事だったんだよね。寝台特急列車「北陸」に乗って翌朝着いた金沢駅や、翌年、青函連絡船で渡った北海道の景色は、いまも私の脳裏に焼きついている。それがきっかけで“鉄子”になり、それはいまも続いている。それも、ノートに描かれていた植物画が魅力的だったからで、もっといえば、私が農業高校に絶望していたからだ。絶望もそう悪くないのかもねと、66才になったいまは思っている。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2023年6月15日号