孫さんが毎日店頭で調理をする「中国名菜 孫」
東京の人に質問すると逃げられる
「僕ね、日本語すごく緊張しますよ。恥ずかしい」
開口一番、孫さんはそうおっしゃった。謙遜、という表情ではない。生放送の番組にも出ていらっしゃるのに……?
「そうですよ。20年くらい前だったら通訳の人いてもいいかもしれないけど、今そんな時代じゃないからね。NHKは特に、特別だから、生放送で変な言葉を言ったらだめだからね。でも、たくさん料理を日本の皆さまに食べてもらいたいから、すごい真面目にやってますよ」
では料理の話から伺ってみよう。料理の世界に入るきっかけは何だったのだろう。
「うちのお父さんが料理人で、その時代の、すごいトップの料理人でした。でも急に心臓悪くなって、53歳で亡くなった。お母さん毎日泣いて泣いてかわいそうだったけど、僕はまだ16歳までいかないから、どうしよう? どうしようと思って、料理の勉強することにしました。
学校入って、もう一生懸命勉強したよ。うちの兄貴、言ったよね。『ホントおまえ料理バカだな』って。遊び行きたいじゃないですか、若いし。でもお父さんの名前があるからさぼれなかった。『あの人の息子』ってみんな見るでしょ。頑張らなきゃいけなかった。お父さんの名誉があるからね。
その頃、仕事する人は大体20歳以上、社会人になるのは22歳で、十何歳じゃ仕事がないから、お母さんはすごく心配しましたね。料理の勉強してると手にケガをすることもあるけど、見せないように包帯取って家に帰った。心配するからね」
自分で選んだというより、料理の道に入るしか方法はなかったのだ。血のにじむような努力をしたと孫さんは言う。
「宿題もいっぱいあったし、休みの日も、お父さんのこと知っている料理人が『うちの店へどうぞどうぞ』って言ってくれるから、その店の料理を研究したりしてね。勉強、勉強。それで何年か後に資格を取って、当時ではちょっとあり得ない若さでしたね。スターです。今で言うなら、野球の大谷さんみたいな(笑)
中国でテレビや新聞に出て……、昔の中国ではテレビや新聞に出るのは普通じゃなかった。いいお給料もらって、料理の世界では『あの若い人すごいね』って、みんな僕のこと知ってました」