平野と神宮寺、三宅も7人の門出を祝った(画像はYouTubeより)
平野いわく、当時のキンプリの理想像は「アベンジャーズ」。それぞれのメンバーが得意分野を持ちMCやダンス、演出面などの個々が強みを生かしたグループにしたいと考えていた。
「演出面を担うのが神宮寺さんで、岸さんも『Endless SHOCK』に出演した際、座長の堂本光一さんの話を熱心に聞きながらも自分の主張を押し通す一途さを見せていました。ジャニーさんから『YOUたちならできるよ』と言われて育った彼らには、何でも自分で考え、自分たちで決めるという強い思いがあった」(レコード会社関係者)
平野たちが滝沢と合流する布石は4年前から打たれていたことになる。一方で、滝沢の介入によりキンプリの演出から松本が弾かれたとみる関係者もいて、滝沢と松本の“衝突”さえ囁かれた。1999年に嵐がデビューしたとき“幻のメンバー”と呼ばれた滝沢は、松本たちとも親しい関係だった。
「当時、Jr.の中で圧倒的な人気を誇っていたのが滝沢さんで、ファンやマスコミは滝沢さんが嵐のメンバーに選ばれると思い込んでいました。もっとも、ジャニーさんから『まだデビューさせない』と言われていたこともあり、滝沢さんは先を越されることに何の不満もなかった。むしろ嵐のメンバーに相葉雅紀さんを推薦したほどだといいます」(前出・芸能関係者)
平野たちと滝沢の合流に、松本が意外な形で関与していたとされるが、当の松本は大人の対応を見せている。
「当時、キンプリの演出から一歩引いた形となった松本さんですが、彼らのことは変わらず応援し続けていた。滝沢さんだけでなく、平野さんともいまも仲がいいと思います。むしろ、今回の合流の裏で滝沢さんの“老かいさ”が見え隠れしたことが気になりますね」(前出・芸能関係者)
松本とは同年代で、嵐に近いとされる上田や赤西が、このタイミングで意味深長な発言をしたことも気にかかる。Jr.時代に「タッキー&翼」のバックで踊っていた上田や赤西にとっては、滝沢が憧れの存在だったはずだ。
「“TOBEない”の意味するところが、羽ばたけずにいる自分たちのことなのか、あるいは国内の活動にとどまる滝沢さんたちのことなのかはわかりません。いずれにしても、ジャニーさんの性加害問題で事務所が逆風にさらされる中で、一貫して無関心を装い、勢力を拡大する滝沢さんたちの姿勢に複雑な感情を抱くタレントは少なくないようです」(前出・芸能関係者)
新たなスターが誕生する裏には、かつての仲間が分断される悲劇が隠されていた。芸能界の新しい風となった“TOBE旋風”は、同時に賛否も巻き起こしている──。
※女性セブン2023年8月3日号