話を戻して、車椅子ごと妻を海に突き落とした夫の話だけど、40年前の脳梗塞のとき妻は着替えや入浴などがひとりではできなくなり、その後、車椅子生活になったそう。ということは、動く右手である程度のことはできたはずなの。「妻が半身麻痺になると夫はスーパー勤務をやめ、時間の融通が利くコンビニエンスストアの経営などで生計を立て、子育てと介護を続けた」と報道されているけれど、その時点では、夫はそれほど負担に感じなかったんだと思う。
「息子たちが独立してふたり暮らしになった後も、妻のために3食を手作りした。自宅マンションのベランダには妻が好きな花をいくつも並べ、妻は『料理はおいしいし、夫が花に水をやってくれる』とうれしそうに近所の人に話していた」というから、生活を楽しむ余裕があったのよ。
おかしくなったのは数年前からで、事件の1か月前には妻の首を絞めるという事件を起こしていたそうで、息子や周囲から妻を施設に入所させることをすすめられたけれど、夫は強く反対。施設に入所させるくらいなら妻を殺害してしまおうと決意したのだそう。
介護はその内容が厳しくなればなるほど、おかしなヒーロー感とでもいうのかしら……自分がやらずに誰がやる、というような気持ちになるんだよね。そんな気持ちがないとシモの世話などできないけれど、ありすぎると、介護の大変な負担を“生きがい”と思い違いするんじゃないかしら。それができない自分は価値がない、価値がない自分はもう生きている意味がない。なら、いっそ……。この短絡的な発想そのものに私は夫の老いを感じるのよ。
「お父さん、やめて」
夫が何をしようとしているかわかったとき、妻はこう叫んだそう。この言葉を現在82才の夫は抱えて生きていくのかと思うと、やりきれないんだわ。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2023年8月10日号