先代の木村庄之助の「遺言」
昇格できない式守伊之助の存在があるため、三役格行司を立行司にさせることもできず、長く木村庄之助が空位となっていたわけだ。そうしたなかで今回、38代木村庄之助が誕生したので、それと同時に三役格行司から昇格するかたちで42代式守伊之助も同時に誕生するとみられていたが、そうはならなかった。「これが木村玉治郎退職の背景にあるのではないか」というのは若手親方のひとりだ。
「41代式守伊之助は来年9月場所後に定年を迎えます。その花道として木村庄之助に昇格させたが、裁きが安定せず、先の9月場所でも9日目の豊昇龍対琴ノ若戦で11回目を差し違えをしたばかり。そういう行司を立行司に昇格させてしまった反省から、次の立行司(式守伊之助)は1年間かけて4人の三役格行司の中から見定める方針だといいます。
退職届を出した6代木村玉治郎は、41代式守伊之助の裁きが安定しない問題の巻き添えを食ったかたちでしょう。本人には、裁きだけでなく、掛け声や佇まいも41代式守伊之助より上だという自負があるはず。体調不良で41代式守伊之助が休場した時には、代わりとして結びの残り2番を裁いた経験もある。三役格で最年長でもある木村玉治郎にしてみれば、自分が今回同時昇格できなかったことで、この先も立行司になれないと判断のでしょう。協会への抗議の意味もあったのではないか」
昨年7月、慢性間質性肺炎のために亡くなった37代木村庄之助の畠山三郎氏は、生前に本誌・週刊ポストの取材でこう語っていた。
「庄之助を9場所、伊之助を6場所やりましたが、その3年間に1度も行司黒星(差し違え)はなかった。それが私の誇りだね。ただ、行司は土俵上(で勝敗を裁く)だけの仕事じゃないのでね」
照ノ富士は第73代横綱だが、これまで木村庄之助を名乗れたのは37人しかいない。今回で38人目となるが、その重みを感じて土俵に上がってもらいたい。