そうやって円グラフ一つ書けない僕に、〈就職活動はフィクションです〉〈真実を書こうとする必要はありません〉と商社勤務の美梨は言い、彼は生まれて初めて架空の誰かに関する小説を書くことになる。そして皮肉にもこれを機に小説家として生きる覚悟を決めるのだが、そんな彼に〈私に言わせて〉〈私と一緒にいると、小説に集中できないんでしょ?〉と美梨が自ら別れを切り出すシーンの切なさ、尊さは、まさに小説としか言い様がない。
「僕は常に嘘というか、この世に存在しないことを書いてお金をもらうことに、罪悪感があるんですよね。その後ろめたさは自覚すれば済むってものでもなく、読者にはとんでもない嘘の方が面白かったりする中で、どこまでの嘘が書けるか、1人の人間として折り合いをつける作業は小説家なら皆さんしていると思うし、嘘や作り話をお金にするということを極限まで真面目に考えたのが、今回の作品でもあるかもしれません」
占いは小説と同じだから嫌い
その他、あの3月11日の前日は何をしていたのかを、親しい仲間や恋人に訊ねて回る僕の、記憶とその捏造を巡る物語、「三月十日」。
ある高級占い師の正体を暴くため自作の作中人物を騙って潜入した僕が、むしろ相手に自分と似たものを感じてしまう「小説家の鏡」。さらに偽ロレックスを愛用する漫画家(「偽物」)や、高校時代から起業家志望で、今は投資家として80億だかを運用するという表題作の元同級生〈片桐〉ら、嘘や虚飾に塗れた人々ばかりが、なぜか小説家となった彼の前に現われるのである。
出色は無神経で図々しく、昔から苦手な片桐のことも、僕が必ずしも〈嫌いではなかった〉こと。実際、〈才能という黄金〉を掴みたくて転落していった彼のことを、読者もまた同情こそすれ、嫌いにはなれない気がする。
「単に嫌いって、突き放すことができないんですよね。ムカつくにはムカつくけど。例えば僕は占いが昔から大嫌いなんです。非科学的な話を適当にするのが許せなくて。でもそれって小説も同じじゃないって、要は同族嫌悪です。虚構を生業にする者としての(笑)。
それに僕はどんなに理解できない人も同じ人間だし、むしろわかろうとして小説を書いている部分もある。例えば『地図と拳』の時はなぜ人は戦争なんて馬鹿げたことをするのかを、別に昔の人や軍部が悪者だからじゃなく、自分だってそうしたかもしれないと、一見自分から遠いものを自分の視点で理解しようとしたり、他者や未知の存在をわかろうとするのが、僕が小説を書く一番の動機なんです」