正捕手に育てた「恩人」
長嶋氏は昨年9月に自宅で尻餅をついた際、後頭部を打ったことによる脳内出血で救急搬送された。以来、都内の病院で入院生活を続けてきた。
「長嶋さんは入院直後から一般病棟で手足のリハビリに励んできた。イベント後の控え室でも選手と力強い握手を交わしましたが、まさにリハビリの賜物でしょう。医者の許可がおりず退院はなかなか叶わないようですが、一刻も早く退院して、現場に姿を見せたいと思っているはずです」(スポーツ紙編集委員)
長嶋氏の強い思いの背景には“愛弟子”である阿部監督の就任がある。巨人番記者が言う。
「イベントの前日、山口寿一オーナーが報道陣に『長嶋さんは非常に元気な声で“阿部監督に期待する。新しい面白い野球をやってくれるんじゃないか”と言っていた』と話したんです。ミスターは秋季キャンプ中にも阿部監督に激励の電話をしており、“阿部巨人”の誕生を喜んでいる様子が伝わってきた。だから今回のイベントでもコメント動画を流すかもと思いましたが、まさか自ら東京ドームまで出向くとは。強い覚悟を感じ、驚かされました」
阿部監督がドラフト1位で巨人に入団した2000年、迎え入れた監督は長嶋氏その人だった。当時のドラフトは大学生と社会人を対象に逆指名制度があり、阿部監督が「長嶋巨人」を選んだ。
長嶋氏にとって監督最終年となった翌2001年、開幕戦で“ルーキー・阿部”をスタメン起用。新人の開幕マスクは1978年の山倉和博以来、実に23年ぶりだった。
経験を求められるポジションだけに、前年までの正捕手・村田真一を代える決断は批判も浴びたが、長嶋氏は辛抱強く127試合で起用した。ある巨人OBが言う。
「ミスターのあの我慢が阿部を成長させ、“打てるキャッチャー”が誕生した。ミスターにとって阿部は“最後の愛弟子”です。だからこそ、病院から一時外出してまで東京ドームに姿を見せた。阿部を激励したいという、ミスターの強い思いの表われでしょう」