〈中東戦争が激化するなか、日本はイスラエル支持の米国と、アラブの石油産出国との板挟みになった。角栄は来日した米国のキッシンジャー国務長官から「アラブ不支持」を求められるが意に介さず、直後に副総理の三木武夫を中東に派遣。OAPECは日本を「友好国」と認定し石油供給途絶は避けられた〉
これがキッシンジャーの逆鱗に触れた。角さんは米国離れ政策に警告を発する米政権の意向を無視できず、フランスへのウラン濃縮加工委託を撤回。釈明のため三木副総理を米国に派遣した。
それでも、独自資源外交は諦めなかった。インドネシア訪問時は激しい反日デモに遭うが、液化天然ガス開発やロンボク石油備蓄基地建設を決めた。デモの背後では米国が動いていたとされる。
ここで、米国は本気になった。キッシンジャーに続いてインガソル国務次官補が東京で会見し、日本の対米外交の姿勢を批判、内定していたニクソン大統領の訪日と昭和天皇の米国訪問は中止にすると恫喝してきた。
さすがの角さんもこれには参るしかなかった。アラブ諸国と袂を分かって米国協調に路線を転換、大平正芳・外相がワシントンの会議で、対米依存の資源政策に軌道修正すると表明せざるを得なかった。当時の米国は東西冷戦下の超大国で、日本が太刀打ちできる相手ではない。だが、その後も角さんはブラジル、カナダ、オーストラリアを訪問し、ウラン開発の協議をしている。「エネルギーの自主独立が国益だ」との信念を持っていたから、米国から叩かれても諦めなかったのだ。
このタフさこそ、現代の為政者に求められる。
【プロフィール】
田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年滋賀県生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所、東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、1977年フリージャーナリストに。『日本の政治 田中角栄・角栄以後』(講談社刊)など、著書多数。
※週刊ポスト2023年12月22日号