井筒部屋の3兄弟。右から、長男の鶴嶺山、次男の逆鉾、三男の寺尾(1979年撮影、時事通信フォト)
兄・逆鉾も寺尾のガチンコを応援していた
板井氏が「中盆」として暗躍したが、その相棒として常に行動を共にしていたのが寺尾の兄の逆鉾だった。
「チャキ(逆鉾)は弟(寺尾)には気を遣っていた。弟がガチンコで戦っている姿が支度部屋のテレビ画面に映ると傍目にもおかしいほど必死に応援していた。弟が幕内に上がってきた時、“寺尾に(星を)回してやろうか”とチャキに持ち掛けたことがあるが、“兄弟を巻き込みたくない”と断わられたことがある。弟には触れたくなかったようだ」
そう板井氏が話していたことがある。逆鉾としては、ガチンコの寺尾を暖かく見守っていたのだ。寺尾が力士として、そして錣山親方として真っすぐに生きることができたのは、逆鉾がいたからかもしれない。
錣山親方は2010年の理事選での「貴の乱」に賛同し、元横綱・貴乃花に師事したこともあった。貴乃花親方の2度目の出馬となった2012年の理事選では貴乃花グループの7票以外に4票の上乗せがあり、内訳としては立浪一門から1票、時津風一門から3票が流れるかたちだった。
貴乃花一門の解体で冷遇
時津風一門からの3票は、一門会の場で高砂一門との共闘を拒否した若手親方の綴山、時津風(元時津海)、湊(元湊富士)だった。貴乃花親方が2014年の理事選で3度目の当選を果たすと、貴乃花一門として認められることになった。その後、時津風一門の若手親方は貴乃花一門に合流。一門の親方は11人に拡大した。協会関係者が言う。
「ガチンコ横綱として若い親方衆に現役時代から尊敬されてきたのが貴乃花親方だった。自分たちの将来を託すことができるのは誰か。現役時代をともに戦ってきた親方たちだからこそ、貴乃花を神輿として担ぎ上げる決心をした。多くの若手親方も同じような考えだったが、実際に一門を割って出た寺尾たちの行動力はその後も評価されていた」
だが、貴乃花親方が弟子の暴力に端を発した騒動で協会を追われると、旧貴乃花一門の親方衆はバラバラに解体された。錣山部屋は二所ノ関一門に所属することになったが、他の旧貴乃花一門の親方衆と同様に冷遇されている。
それでも昨年九州場所で幕内優勝を果たした阿炎を育てるなど注目を集めていた。井筒三兄弟の長男の鶴嶺山は2020年に急性心不全により60歳で亡くなり、次男の逆鉾はすい臓がんを患って58歳で死去した。三男の寺尾も60歳で亡くなった。定年を全うすることはなかったが、自らの手で育てた優秀な弟子を残しての死だった。合掌。
