「ジュニア時代、羽生選手の衣装は全て母親の手作りでした。羽生選手の母は、彼が出場するほぼすべての大会に帯同し、2012年、コーチのブライアン・オーサーに師事するためカナダ・トロントに移り住んだ際も一緒に異国に赴きました。
10年以上前は羽生選手のドキュメンタリー番組に顔出しで登場したりしていましたが、息子の裏方に完全に徹することに決めたのでしょう。表舞台に姿を見せなくなりました。柔和な顔立ちの女性で、羽生選手はお母さん似なんでしょうね。
また、羽生選手のお父さんは今春に定年を迎えたのですが、それまで昼は教師として働きつつ、深夜の練習への送り迎えを担当する生活でした。4つ年上のお姉さんもフィギュアスケートをしていましたが、自分がアスリートになる道は諦め、弟のサポートに回りました」(前出・スケート関係者)
羽生は4歳のとき、スケート教室に通っていた姉の影響で初めてスケート靴を履いた。屋内のリンクであれば喘息持ちの息子でもホコリを吸い込むことなく運動できるだろうと、母親も歓迎したという。
とはいえ、羽生の両親はフィギュアスケートにそれほど詳しかったわけではない。当時の一家を知る人物が明かす。