2019年にはアイスショーで共演も(写真/AFLO)
「お父さんは公立学校の教師で、お母さんは百貨店の紳士服売り場でパートとして働いていました。当時住んでいたのは家賃5万円の県営住宅で、特別に裕福な家庭というわけではありません。練習費用に頭を悩ませていた様子で、野球好きのお父さんは、『フィギュアを辞めて野球をするのはどうだ?』と言っていました。自分たちのよく知らない分野で才能を開花させていく息子に、喜びつつも少し戸惑っているように見えました。
結弦くんが10代のとき、ご両親は、『フィギュアだけの人間になってはいけない』と学校の勉強もしっかりやるように言い聞かせていました。ごく普通の家族という印象だったので、報道でピリピリした感じのエピソードを聞くたびに『あの一家が? ずいぶん変わってしまったんだな』と驚いています」(昔の羽生家を知る人物)
羽生は、自分を献身的に支える家族に深く感謝している。
「『目の届くところにいないとダメ』と交友関係にまで目を配らせる母親を羽生選手が重く感じた時期もあったようです。実際、それなりに付き合いの長いスケーター仲間でも“羽生と食事に出かけたことはない”という人はいます。しかし、母親を始めとした家族の献身があったからこそ大成功を遂げたわけですし、羽生選手も今は素直に感謝しているようです」(前出・スケート関係者)
結婚相手であっても、一家の堅い結束に加わることは難しかったのだろう。