大船撮影所時代の山本さん(1976年6月=写真/アフロ)
生涯独身を貫いた山本さんだが、「恋多き女優」として浮名も流した。1973年の『白い影』で共演した田宮二郎さん(享年43)との不倫関係がささやかれたが、1978年に田宮さんが自殺を遂げた後に山本さんは男女の関係を否定。一方でのちに雑誌のインタビューで、《過去に妻子ある人を好きになって、男性に対する理想像が固まっちゃったわけね。だから結婚できないんじゃないかな……》(『週刊平凡』1974年4月25日号)と振り返っていた。
山本さんの恋愛観を大きく変えたのが、1984年に判明した沖田浩之さん(享年36)との熱愛だった。
「当時、沖田さんは21才で山本さんは42才。ドラマでの共演がきっかけで年の差を超えた交際でした。21才年下の沖田さんが“ぼくにとって陽子さんはすべてです。恋人であり、結婚相手であり、そして母親でもあります”と堂々と語ったことも大きな話題になりました。ところが、約2年後に沖田さんに別の恋人がいることが報じられ、山本さんが身を引く形で破局しています」(芸能記者)
その後、沖田さんは36才のときに自ら命を絶った。訃報を受け、取材に応じた山本さんは「青春の1ページとして、思い出を残しておきたい」と涙ながらにコメントし、元恋人の早すぎる死を悼んだ。こうした恋愛観も含め、山本さんの生き方を受け止めてくれたのが、女流作家の宇野千代さんだった。
「山本さんは宇野さんを人生の師と仰ぎ、宇野さんの自伝的小説『生きて行く私』が舞台化された際には自ら主役を買って出ています。宇野さんも若い頃に恋多き女と言われたかたで、言い訳めいたことを口にしない山本さんに好感をもっていたのでしょう。初対面のときに宇野さんから『もう少し早く出会えていたら、あたしはもっと違う勇気をあんたにあげられた』と言われたこともあったそうです」(出版関係者)
※女性セブン2024年3月14日号