フジテレビの前で撮影に応じた阿部知代さん(撮影/藤岡雅樹)
「運がよかったのかな」
「この番組は東京・パリ・NYを生中継で繋いで放送するという画期的なものでした。いま思えば、なんてお金のかかることをしていたんだ、という感じですね。パリには私と河野景子さん(59)。NYにも別のアナウンサーが駐在していました。朝から取材して編集して、東京の朝のニュースの本番はフランスでは夜。景子ちゃんはフランス語学科出身だからフランス語が堪能でしたが、私は全然喋れなくて。パリの人たちからは“あなたはできないのね”なんて呆れられました」
パリ駐在を1年で終えて帰国すると、また仕事がパタッとなくなって「暇日勤」に逆戻り。
「実は20代と30代の時にやんわり異動の打診を受けました。“君はアナウンサーとしては大成しないから。考えてみて”って。それでも結局は残していただけた。運がよかったのかな。もうちょっと置いとこうか、と」
阿部さんの会社員人生は順風満帆だったわけではない。だが、思いがけない仕事に取り組み多くの人と出会うことで定年まで活躍を続けたということだろう。第3回では自身の新たな一面を引き出してくれた恩人である“芸能界の大物”とのエピソードを聞いた。
(第3回に続く)