メンバーが再集結し、復活を果たしたザ・タイガース。(2013年12月)左から、岸部一徳、瞳みのる、岸部四郎、沢田研二、森本太郎、加橋かつみ
今年1月末、瞳は体調を崩して緊急入院した。
「咳が止まらず歩くのもやっとの状態が続き、近所の病院を受診すると肺炎と診断されたのです。すぐに大きな病院に緊急入院することになりました。
実は、瞳さんが入院した日は、ジュリーのライブの最終日の前日でした。終演後には、一徳さんや森本さんらメンバーで食事をする予定だったそうです。ジュリーは瞳さんの緊急入院にショックを受け、ひどく動揺していました」(前出・レコード会社関係者)
一時は深刻な病状が囁かれた瞳だが、体調は徐々に回復。なんとか今回の10周年記念ライブを迎えることができた。
「お前らは路頭に迷っているよ」
それだけに一同の喜びは格別だった。
終演後、都内の老舗小料理店で打ち上げの食事会が開かれた。沢田はライブで着ていた衣装のスーツを着替えることもなく、宴会の場に駆けつけた。
「多くの関係者が参加した打ち上げだったので、群れることが嫌いな沢田さんは辞退されるかと思いましたが、来ていたのは意外でしたね。しかも、瞳さんと森本さんと向かい合う席を選んだそうなんですよ。沢田さんはメンバー2人と笑顔で会話をしながら、おいしそうに杯を重ねていたようです」(音楽関係者)
彼らがこうして顔を揃えるのは、当たり前の光景ではない。ザ・タイガースの原形は瞳、森本、一徳、加橋かつみ(76才)の4人が京都で結成した「サリーとプレイボーイズ」だ。のちに瞳から「日本一になれる」と声をかけられた沢田が加入し、1967年にザ・タイガースとして『僕のマリー』でデビューした。
ベルベットのジャケットにフリルのブラウス、純白のタイツという5人組の人気は爆発し、空前のグループサウンズブームを巻き起こした。
だが、順調な時期は長くは続かなかった。
「金銭面の問題や将来性の違いなどからメンバー間に亀裂が生じて、1969年に加橋さんが脱退。一徳さんの実の弟である岸部四郎さん(享年71)が加入しました。それでもメンバー間の溝は埋まらず、1971年にバンドは解散しました」(芸能関係者)
親しい間柄ゆえに憎さが増したのか。解散時、瞳は沢田らに対してこんな捨て台詞を残したという。
「10年後に会おう。そのときお前らは路頭に迷っているよ」