皮肉なことには、山県の後輩である陸軍幹部は「宗教新聞」の影響下で育ったこともあり、もっとも強硬な「やらずぶったくり」派だった(何度も言うが、その背景には「十万の英霊の死を無駄にしてはならない」という思いがあった)のに対し、「古兵」である山県自身は「やり過ぎ」だと思っていたことである。さらに皮肉なことには、元老政治の象徴である山県を嫌い、可能な限り無視して外交を進めようと思っていた加藤もやはり「やり過ぎ」だと考えていたということだ。
陸軍の頂点に立つ「法王」山県有朋と、交渉担当者の外務大臣・加藤高明が同じ考えだったということである。ならば、「対華要求」は少なくとも領土的野心を剥き出しにしたものにはならないはずだ。しかし、実際は「二十一箇条」要求になってしまった。最終的には第五号を中心とした四箇条が削除されたので、日本が実際に要求したのは十七箇条だが、それにしてもバカな話である。
なぜそんな愚かなことになったのかについてはここ数回で詳しく述べたが、あえて一言でまとめれば日本は「話し合い」中心の国家であり戦前の大日本帝国ですら権力が一本化されていなかったということだろう。国家権力を集中してこそ責任の追及も明確になる。たとえば「戦争責任」もそうだが、「和」を重んじる日本は基本的に「稟議書社会」になってしまい責任の追及がしにくいという傾向があり、それは現在も続いている。
(第1416回へ続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2024年4月26日号