掛布雅之氏は誰もが認める「練習の鬼」だった
田淵:カケ、なんでかわかる? 長嶋さんはバッターボックスで俺のミットを“カンニング”するんだよ。目が合った時に「ダメですよ」って言ったら「いや左目でピッチャーを見て、右目でキャッチャーを見るんだ」って。カメレオンじゃないんだから(笑)。それだけじゃない。豊に2三振して3打席目に、マウンドまで遠く感じるなぁと思ったら、長嶋さんがバッターボックスから出てるんだよ。
掛布:後ろに下がっちゃてるんですね。
田淵:そうよ。右足で白いラインを消すわけ。「出てますよ」って言っても「田淵くんごめんね」だから(笑)。でも悪気はないんだよ。どうにかして打つために長嶋さんも色々と試行錯誤してたんだよな。ああ見えて、勝負に対しての執念はすごい人だったよ。
江夏:そういう意味では、あの時代の人たちには“味”があったよね。
田淵:俺が阪神に昭和44年(69年)に入団して10年在籍したけど、その間2位が6回だから。
(第2回へ続く)
【プロフィール】
江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年、兵庫県生まれ。1967年に阪神入団後、南海、広島、日本ハム、西武と渡り歩く。1984年に引退。オールスターでの9連続奪三振、日本シリーズでの「江夏の21球」など様々な伝説を持つ
田淵幸一(たぶち・こういち)/1946年、東京都生まれ。1969年にドラフト1位で阪神入団、ルーキーイヤーに22本塁打で新人王。1975年に本塁打王を獲得し、通算474本塁打。引退後はダイエー監督、阪神コーチなど指導者としても活躍
掛布雅之(かけふ・まさゆき)/1955年、千葉県生まれ。1974年にドラフト6位で阪神入団。主砲として本塁打王3回、打点王1回、オールスターゲームMVP3回などの成績を残した。1988年の引退後は阪神二軍監督など球団での業務も経験した
【聞き手】
松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクション作家。1968年、岐阜県生まれ。琉球大卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。最新刊『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)が好評発売中
撮影/松田忠雄
※週刊ポスト2024年5月17・24日号
