マスコミが一斉にカメラを向ける
「平和を希求する姿勢に共鳴した」
二大巨頭突然の引退は、以下のように進められた。
まずは5月27日、道仁会が久留米市の拠点で継承式を挙行した。小林四代目会長は引退して先代となり、福田憲一理事長が五代目会長を襲名したのだ。九州の暴力団組織の親睦団体である四社会はもちろん、親戚の住吉会なども参列し、実話誌の取材も入った。こうした来客は、実質的な証人役を兼ねている。彼らの前で引退を表明した小林氏は自分のメンツに懸け、もう二度と暴力団社会の表舞台に立てない。
「小林さんは宴席にも出てこなかった。堅気になった以上、福田五代目の横には座れない。もし出席するなら、堅気はヤクザの末席に座ることになるが、かつての親にそんな対応も出来ない。場が混乱するので遠慮したのだろう」(襲名式に出席した某組織幹部)
一方、浪川会側はすでに組織のトップを梅木一馬会長に譲っており、道仁会のような式典は不要だった。他団体宛に引退通知は発送してあるが証人がいないこともあり、浪川会本部のある大牟田市の警察署に出向いて、引退を届け出るという。
5月29日午後1時20分、浪川総裁と梅木会長を始めとする執行部三役、加えて浪川氏と共に引退する3名の組員が、2台の最新型トヨタ・アルファードに分乗して大牟田署に姿を見せた。
大牟田署の前には全国紙のキャップと実話誌カメラマンの他、地元テレビ局1社の撮影班が待機していた。署内に入って行く浪川会一行を追いかけ、我々もダメ元で大牟田署に侵入した。すぐ静止させられると思ったのだが、存外見逃され、階段を三階まで上ったところでようやく追い出された。後ろを見ると、我々に釣られて警察侵入したテレビカメラが、警察からこっぴどく叱られていた。ただし、警察は我々雑誌屋を完全無視で、一方的に名刺を要求したあとは、空気のように扱った。
それから約40分後、関係者一同らが出てくると、テレビ局の記者が果敢にも浪川氏にカメラを向けた。
「浪川さん、なぜ今回、引退を決意されたのですか?」
浪川氏は記者を手で制し、「また後から」とだけ答えて車に乗った。馴れ合いの構図から脱却すれば、地元メディアもここまで暴力団に突っ込むと知り安堵した。
「また後から」との言葉通り、引退表明の理由については、浪川氏本人からコメントが出た。当人がコメントを出すのも、現役時代には一度もなかった。
「道仁会の前会長である小林氏の、平和を希求する姿勢に共鳴して、自分も小林氏とともに引退しようと決意した」
