小学3年生(9歳)で初出場した全国ジュニアオリンピック大会で6位入賞。4年後には日本選手権の高飛込で2位に大差をつけて史上最年少優勝を果たした(写真提供/馬淵かの子氏)
「主人が生きていたらびっくりすると思う」
ジュニアの大会では出場すれば必ず優勝していた玉井を、馬淵コーチは5年生の冬に4か月間の中国合宿に参加させた。異例のことだった。
「学校を休ませないといけないので両親は反対。それを説得して連れていったところ、帰国時にはシニアレベルの全種目を完璧にこなせるまでに成長していた。
まだ身長が低かったので板飛込のジャンプ力はありませんでしたが、技術は大人顔負けです。これを見たシニアの選手たちはげんなりしたと思いますよ」
中学生になり、シニアデビュー戦となった日本室内選手権を12歳7か月で史上最年少優勝すると、5か月後には日本選手権の高飛込でも優勝。翌年の日本選手権では板飛込と高飛込の2冠に輝いた。W杯で東京五輪代表権を手に入れると男子で21年ぶりの7位入賞を果たし、パリ五輪のメダル候補に挙がっている。
「もの凄い選手になったと感無量です。最近はここまでやれるかというほど上手くなった。小学生時代の陸斗を知っている主人(馬淵良氏=メルボルン、ローマ大会に飛込代表として出場。2021年死去)が生きていたらびっくりすると思う」
17歳の玉井は体の成長期で、今はまだ発展途上と表現する馬淵コーチ。
「世界の審判から見れば完成しきっていないと見られているが、体の成長が止まれば演技が安定して力強い飛込ができるようになる。まだまだ成長すると思いますが、今でもメダルに手が届く実力はあります。私もあと4年待てないからね」
馬淵コーチが立てなかった表彰台――日本人初の快挙を17歳の玉井が目指す。
【プロフィール】
玉井陸斗(たまい・りくと)/2006年生まれ、兵庫県出身。3歳で水泳を始め、6歳で飛込に転向。12歳で日本室内選手権にシニアデビューし、史上最年少優勝を飾った。東京五輪では日本人選手として21年ぶりとなる入賞(7位)を果たす。
馬淵かの子(まぶち・かのこ)/1938年生まれ、兵庫県出身。中学から飛込競技を始め、16歳でアジア大会に出場。4大会で計5個のメダルを獲得した。五輪には3大会連続で出場。引退後はJSS宝塚SSを立ち上げ、寺内健など多数の五輪選手を育てた。
取材・文/鵜飼克郎
※週刊ポスト2024年8月2日号